日曜日には鼠を殺せ – BEHOLD A PALE HORSE(1964年)

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スタッフ

監督:フレッド・ジンネマン
製作:フレッド・ジンネマン
脚本:J・P・ミラー
撮影:ジャン・バダル
音楽:モーリス・ジャール

キャスト

マヌエル / グレゴリー・ペック
ヴィニョーラス署長 / アンソニー・クィン
フランチェスコ神父 / オマー・シャリフ
ピラール / ミルドレッド・ダンノック
カルロス / レイモン・ペルグラン
ペドロ / パオロ・ストッパ
パコ / マリエット・アンジェレッティ
ザガナル / クリスチャン・マルカン
ロザンナ / ダニエラ・ロッカ

日本公開: 1964年
製作国: アメリカ F・ジンネマン プロ作品
配給: コロンビア


あらすじとコメント

前回の「天国への階段」などで製作、監督、脚本まで一緒にこなしてきた名コンビのマイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガー。しかし彼らが真に作りたかった作品は別ジャンルだった。今回はコンビを離れたプレスバーガーが発表したベストセラー小説の映画化。

スペイン内戦が終わって20年後。スペイン人の少年パコ(マリエット・アンジェレッティ)は、密かに国境を越え、フランスのポーにあるスペイン人街を目指した。彼の目的はかつて内乱の勇者マヌエル(グレゴリー・ペック)に会うことだった。マヌエルは、フランスへ逃げ込んだ後も、年に数度故郷のサン・マルティンへ戻っては、レジスタンス活動を続けた男。山を越え、バスを乗り継ぎポーに着くパコ。

しかし、やっと会えたマヌエルは人生に疲れ果てた世捨て人になっていた。英雄だと信じていたパコは自分が来た理由を話す。「父の仇を討ってください」仇というのは地元警察のピニョーラス署長(アンソニー・クィン)。マヌエルは少年の苗字を聞いて動揺する。かつて同志だった男の息子だったのだ。「病床に伏していた父に、署長は執拗にあなたの居場所を詰問したが、絶対に吐かなかった。もし、教えていていれば死なずにすんだのに」更に動揺するマヌエルだったが、今更不可能だ、と少年を追い返してしまう。直後、マヌエルの母親が危篤という知らせが入る。すぐにパコを呼び戻し、病院内部の詳細や付近の状況を尋く。

一方、病院では自分の行く末を確信した母親が、ルルドへ巡礼に行くというフランチェスコ神父(オマー・シャリフ)を枕元へ呼んだ。「ルルドへの途中、ポーを通るでしょ。そこで息子に伝えて。これは罠よ。署長が待ち伏せしてるの」困惑するフランチェスコ。直後、彼は署長に呼ばれ尋問される。しかし、神父には守秘義務があった。そこへ母親が死んだという連絡が入る。「大丈夫だ。マヌエルに母親は後二日の命だと伝えよう」ピニョーラスはそう部下に言うと不敵に笑った。

その話を聞いてしまったフランチェスコは・・・

負け犬の美学ともいうべき初老の男の生き様を描く見事なる力作。

かつては闘志として名を馳せた男が寄る年波に勝てず、世捨て人のようにひっそりと諦念して異国の場末に住んでいる。もう面倒はご免だとばかりに偏屈さも際立っている。

前半は、そういった彼の凋落振りを嫌というほど見せつけられる。日本人にあまり馴染みのないスペイン内乱を材題にしているため、彼の辿って来た背景がどれほど彼に影響を与えたのかは計り知れない。同じスペイン人同士で始めた戦争に外国勢力が、それぞれの側に加担し、やがて第二次大戦への引き金となった戦い。

ヘミングウェイも人民軍側に参戦し、「武器よさらば」などこの戦いにインスパイアされた作品をいくつも発表している。彼の作品の多くが映画化され、その中の「キリマンジャロの雪」(1959)という作品では、本作の主役であるペックがヘミングウェイ自身を彷彿とさせる役を演じている。ということは本作の主人公はヘミングウェイ自身であるという深謀遠慮な配役と見るべきなのだろうか。

映画は後半、宿敵は殺せるが、自分も生きては帰れないであろうと思いながら、再び故郷を目指そうとする展開になる。当初は親友で同志だった男の子供が直接的に訴えるが、耳を貸さなかったのにだ。母の死亡や密告者の存在など、心を揺り動かされる事柄が起きるが、決定打となるのは宗教観である。

かつて、神父まで殺した無神論者だった男。彼の母親も同じ無神論者だった。その母親が今際の際で、何故、神父を呼んだのか。人間は死を意識したときに、やはり神に頼るということなのだろうか。

スペイン人と宗教の関係。邦題も『黙示録第六章第八節』にある言葉からきているし、キリスト教の聖地のひとつであるルルドがでてくるのも興味深い。勉強不足なので、ここいらの相関関係がよくわからないのが歯痒いが。それでも、登場人物たちの際立った設定により、胸にずしりとくる出来栄え。

現在ではスペインといえば、闘牛よりサッカーが有名だろうが、本作でも象徴的にサッカー・ボールがでてくる。それは祖国に住めず、異国のスペイン人街で貧乏生活を強いられている少年たちがボロボロのボールで楽しげに遊ぶ姿と、故郷を捨て、自分自身のプライドさへ忘れていた主人公が気難しい顔でそれを見つめるという非常に印象的なシーンで。

その後、仲間に入れないパコ少年に新しいボールをプレゼントしようとした主人公が、封印していた故郷を再び目指すと決めるまでを絶妙なカット割りの編集によって紡いでいく。そこで、再度サッカー・ボールの白さが、しっとりとしたモノクロ画面で際立つのだ。

更に酒場で飲み潰れている仲間の元を訪れ、さり気なく意思を伝えて隠してある武器を取りに行くと告げる場面では、酒場で淋しげに働くあどけない少女に対して長らく忘れていた思慕の情が頭をかすめる。瞬間、忘れていた生命への枯渇感を痛感する。散り際の美学とも呼べる白眉なシーン展開で胸が詰まった。

出演者たちの的を射た的確な演技を盛り上げるモーリス・ジャールの切ないほど胸を打つ音楽。派手さはないが、心の奥底で渦巻く闘争心を寄る年波という諦念感で押し殺そうと葛藤する男たちを、静かに、だが的確に綴っていくジンネマンの演出力も素晴らしい。

終盤、達観し、どこか晴れ晴れとした姿で、ひとり雪の残るピレネー山脈を越え、故郷を目指す主人公に涙が止まらなかった。それは、昔の東映仁侠映画で、鶴田浩二なり高倉健なりが、多勢で待ち受ける仇の元へ行く姿にダブったからだ。しかし、東映作品のようなカタルシスはない。そこが、原作者プレスバーガーの最も意図したかったところだろう。

静かだが、真の『男気』を感じられる数少ない外国映画である。

余談雑談 2007年5月12日
以前、この欄でPASMOについて書いた。時代を象徴する便利な乗車用カードだ。自動改札機も、青い光を放つタッチ・パネルが目立つ。だが、どうしても馴染めない。 先日、所用を集約して東京メトロの一日乗車券を買ったが、元を取る前に用件を終えた。メト