スタッフ
監督:ハーバート・ロス
製作:ピーター・ハイアムス
脚本:ピーター・ハイアムス
撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド
音楽:ジャック・エリオット
キャスト
T.R. / キャンディス・バーゲン
ジャック / ピーター・ボイル
ラリー / ジェームス・カーン
デイル / マーシャ・ロッド
キャシー / エリン・オライリー
アーサー / ハワード・ブラット
ゲーリー / ウィリアム・ワイズ
マーシャ / ジェーン・オルダーマン
リンダ / ジョイ・マンデル
日本公開: 1972年
製作国: アメリカ パラマウント作品
配給: CIC
あらすじとコメント
引き続き大都会の孤独を描く人間ドラマ。今回はNYでなくシカゴにでてきた女性の強烈なる孤独の物語。
アメリカ、シカゴ。オハイオの小さな田舎町から、家出同然で大都会にでてきたT.R.(キャンディス・バーゲン)。窮屈な田舎から都会に来れば、どうにかなると思っていたのだ。しかし、空港から乗ったタクシーでは初めてのシカゴだと知られて遠回りをされるし、アパートを探せば、汚い上に想像以上の家賃だったりと、いきなり幻滅を感じる。次に何とか大企業に就職をするが、そこも人間というよりロボットのような対応しかしてくれない。その会社の中で唯一仲良くしてくれたのが人事課のデイル(マーシャ・ロッド)だ。来たばかりで、友達もいないんでしょ、と親しげに接してくれた。その上、彼氏も紹介してくれると、金持ちのボンボンたちとの合コンにも呼ばれた。しかし、彼らのいけ好かない言動に幻滅を感じる。
彼女の言動は日増しに嫌味になっていき、心許せる友人もできないまま、単調で孤独な毎日が過ぎていった。そんなある晩、ダイナーで一人読書をしていた児童書の編集をしているラリー(ジェームス・カーン)と知り合った。
T.R.は自分の嫌味っぽい言動を受け入れてくれる彼に親しみを感じ、彼と一夜を共にするが・・・
大都会での成功を夢見てでてきた若い女性の心理的変化を細やかに浮かび上がらせるアメリカン・ニュー・シネマの佳作。
この「アメリカン・ニュー・シネマ」とは、健全な娯楽として製作されていたハリウッド映画がテレビに押され混迷を極めていた時期に、反体制を謳って、若い人間たちが作りだした作品群を指す。当然、そこには泥沼化していたヴェトナム戦争の影響が色濃くある。
言い方を変えれば、往年のセット撮影によるスタジオ主義とちがい、低予算でロケを多様し、それまであまり描かれてこなかった等身大の人間の機微、また個人の無力を浮かび上がらせる類の映画でもある。
「俺たちに明日はない」(1967)に始まり、「イージー・ライダー」(1969)や、ジャック・ニコルソンの出世作「ファイブ・イージー・ピーセス」(1970)など、1970年代前後の一時期盛んに作られた。それによって、ロード・ムーヴィーというジャンルも確立された。自分探し的な旅を続けることが人生そのものである、という具合に。
本作はロード・ムーヴィーではないが、人間は数多くいるのに『個』がどれほど無視され、無機質や無関心になっていくか、を淡々と、だが、強烈に浮かび上がらせていく。それまでのハリウッド映画だと、そんな中でも、暖かい隣人が登場したり、人生は捨てたものではないといった理想論的アメリカ賛歌という作品が多かった。しかし、本作は違う。
初めてシカゴに来たと知り、渋滞や抜け道と称して遠回りするタクシー運転手。部屋を借りようとすると汚い部屋のくせに高額な家賃を要求する家主。それでも、自分は良心的だと微笑む。ルーム・シェア募集の記事を見て訪れると、相手は『自分は都会の女』という個性が強すぎて、どうにも噛み合わない。大企業に勤めると名前でなくデスク番号で呼ばれる。しかも、誰も名前さえ、ちゃんと覚えてくれない。
どれほど都会は人間性を奪い、没個性にさせていくのか。そんな彼女が、やっと出会えた男。しかし、彼もまた都会の人間である。唯一、主人公と波長が合うのは、出張でシカゴにでてきた田舎のさえない中年男。だが、そんな男ですら彼女の心の闇は理解し得ない。
このような展開ゆえ、公開当時、地方から東京にでてきた若い女性の多くが劇場で大泣きしたのも頷ける。
製作と脚本は、現在も監督として活躍するピーター・ハイアムス。最近はCG大作のくせにどうにもB級のイメージの「サウンド・オブ・サンダー」(2004)や「エンド・オブ・デイズ」(1998)などを作っているが、初期の「破壊!」(1973)や「カプリコン・1」(1977)、ジャン・ク ロード・ヴァンダムとの一連の作品群など、面白い映画を作っている大好きな監督のひとり。
彼は元CBSのキャスターでヴェトナム戦争のドキュメンタリーを制作し、映画界に入ってきた人間。この企画を持ち込んだときはまだ20代中盤だった。鋭い洞察力と人間心理をえぐる力量に舌を巻いた。また、無味乾燥な都会を描きこんだストーリー展開も巧みだ。
都会で生まれ育ったり、また、長く住み続けている人間には、当り前で些細なことのひとつひとつが、『思いやり』や『協調性』を持っている人間には、心をえぐられるような体験だったりする。否や、そんな高尚で難しいものではない。自分が普通の自分として生きてゆきたいと思っていくことがどれだけ困難であるのか。
劇中にでてくる「都会は人を小さく見せる」とつぶやく主人公の台詞が、すべてを物語っている。
静かだが、現代でも立派に通用する人間ドラマの佳作。