ある戦慄 – THE INCIDENT(1967年)

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スタッフ

監督:ラリー・ピアース
製作:モンロー・サクソン、エドワード・メドー
脚本:ニコラス・E・ベア
撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド
音楽:テリー・ナイト

キャスト

ジョー / トニー・ムサンテ
アーティ / マーティン・シーン
フェリックス / ボー・ブリッジス
サム / ジャック・ギルフォード
バーサ / セルマ・リッター
ミュリエル / ジャンヌ・スターリング
ダグラス / ゲーリー・メリル
アーノルド / ブロック・ピータース
ビル / エド・マクマホン

日本公開: 1968年
製作国: アメリカ 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス


あらすじとコメント

引き続き大都会ニューヨークを舞台にした人間ドラマ。だが、地方からでてきた主人公の孤独ではない。様々な個性を持った人間たちが登場し、各々の孤独とつらさを描く群像劇。しかも、内容はショッキングだ。

アメリカ、ニューヨーク。とある深夜、ブロンクスを経由しマンハッタンまで行く地下鉄の最終電車。

貧乏なサラリーマンのビル(エド・マクマホン)は妻と4歳の娘を連れて、泥酔して寝ている浮浪者しか乗っていない車両に乗っていた。その後、お互いが好意を持っているのに相手を試すようにしている若いカップルや、息子に借金を申し入れに行ったが断られた老人のサム(ジャック・ギルフォード)と妻(セルマ・リッター)、左手を骨折し、ギプスをはめた陸軍兵士フェリックス(ボー・ブリッジス)と一緒に休暇中のNYっ子のフィリップなどが次々と乗り込んできた。

他方、ジョー(トニー・ムサンテ)とアーティ(マーティン・シーン)の不良が公園で通りがかりの男を脅し、金品を強奪しようとした。しかし、相手が8ドルしか持っていなかったことにキレて、殺害してしまう。興奮が収まらない二人は、勢いでマンハッタン行最終電車に乗り込んできた。怪しい気な雰囲気のジョーたちに素知らぬ顔をする乗客たち。

しかし、ジョーたちはそういった行動をとる乗客たちにプツっとキレてしまって・・・

大都会で、それぞれの価値観と思惑を持って生きる『大人』たちの赤裸々な感情をえぐる佳作。

何よりも舞台劇になりそうな設定を映画用にオリジナルで書き下ろした脚本が素晴らしい。ステレオ・タイプではあるが、価値観の違う人種が集うニューヨークならではの、他人は他人という、それが、さも都会人としての『大人』の振る舞いであるという人間たちが巻き込まれる閉鎖的絶望感を描いていく。

作劇としては、最初に殺人を犯す若者二人の姿を写しだし、次々と終電車に乗り込んで来る乗客たちのバック・ヤードを描写していく。そして、最後に殺人を犯したばかりの二人が乗車してきて、観客は乗客同様、ショッキングな展開から途中下車できなくなる。

登場人物たちは上記以外に、勝気な妻と気後れ気味の高校教師の夫、壮年ながら負け犬感を引き摺るアル中の男、そんな彼に惹かれてついてきたが声すら掛けられない若いゲイ、白人嫌いの熱血黒人夫婦など。まさに大都会の縮図という人物構成だ。

そういった人物ひとりひとりに絡み、脅し、『大都会の大人』というプライドを崩し、忌まわしい個人的秘密をえぐりだしていく。最初こそ、彼らを諭す人物も登場するが、その人間がボロボロにされるに及んで、わが身に災難が降りかからないように知らぬ振りをする。更にチンピラたちは大声で車両内を駆け回り、ドアを塞いで開かなくしたり、やがては飛び出しナイフまで振り回すという好き放題な行動にでる。

観客はすでにチンピラたちが人をなぶり殺しにしているのを知っているから、誰かが同じ眼に遭うのではないかと恐怖感を募らせていく。

もし、自分がその場に居合わせたら、どういう態度を取るかと想像し、きっと他の乗客同様、決して立ち向かわないだろうと心が歪曲していく。

まさに昨今話題のいじめ問題と同じ構図だ。近くにいじめられている人間がいて、それを知らぬ振りするのは、いじめと同罪だという正論を掲げるマスコミ論調が目立つ。自分も心では理解し、賛成する。しかし、本作を見たら、それほど簡単な問題ではないだろうと痛感するだろう。なぜなら、ここでは市民の味方である武器や権力を持った警察や地下鉄職員という体制側の人間は誰ひとり登場しない。居合わせた『当事者』のみで解決しなければならないのだ。

だからこそ、種々雑多な人種が集う大都会での孤独を感じながらも、自己弁護や個々の価値観の違いによる『人はそれぞれ』という立ち振る舞いが大人だ、というスタイルの賛否が問われていく。やがて、本作はちゃんと一抹の光明を灯すラストを迎える。しかし、そこには都会の大人という気取った価値観は一切残らない。

大都会で無視される孤独も嫌だが、知られたくない過去までを他人の前で曝けださざるを得ないというシチュエーションも死ぬほど恥ずかしい。

スマートに生きようとする都会人はつらいと痛感させられる佳作。

余談雑談 2007年8月11日
週末を挟んで、一週間ほど沖縄に行ってきた。結果、遂に『雨男』のレッテルは剥がされた。 離島に行ったり、現地の友人が取って置きの場所という人のいない、小さいが見事に美しいビーチでバーベキューをしてくれたりと今までの鬱憤晴らしができた。 だが、