拾った女 – THE PICKPOCKET(1953年)

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スタッフ

監督:サミュエル・フラー
製作:ジュール・シャーマー
脚本:ドワイト・テイラー、サミュエル・フラー
撮影:ジョー・マクドナルド
音楽:ライオネル・ニューマン

キャスト

スキップ / リチャード・ウィドマーク
キャンディ / ジーン・ピータース
モウ / セルマ・リッター
タイガー警部 / マーヴィン・ヴァイ
ジョーイ / リチャード・カイリー
ゼーラ / ウィリス・B・バウチャー
ウィッキー / ミルバーン・ストーン
マクレガー / ヘンリー・スレード
デートリッヒ / ハリー・カーター

日本公開: 1953年
製作国: アメリカ 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス


あらすじとコメント

ニューヨークの地下鉄つながり。今回は地下鉄を縄張りとするスリが主人公だ。

アメリカ、ニューヨーク。混んでいる地下鉄にある女が乗っていた。どこか、すれっからしの感じで名前はキャンディ(ジーン・ピータース)。そんな彼女を少し離れたところから尾行し、監視している二人のFBIの刑事が居た。とある男が新聞を片手にキャンディに近づいてきた。スキップ(リチャード・ウィドマーク)だ。

彼は地下鉄を縄張りとするスリで、一週間前に刑務所から出所したばかりだった。今度現行犯で逮捕されれば終身刑の可能性があった。しかし、彼は誘惑に負け、キャンディのバッグから財布を抜きとる。キャンディも尾行中のFBIの二人も彼の犯行には気付かない。

電車から降り、初めて財布がないことに気付くキャンディ。慌てて特許弁護士のジョーイ(リチャード・カイリイ)に連絡を入れた。狼狽するジョーイ。財布の中には人に届けるため依頼されたフィルムが入っていたのだ。しかし、それは国家機密の数式を写したものだった。実はジョーイはソ連のスパイで、何も知らぬキャンディに運び屋をやらせていたのだ。彼は掏った相手を探しだせと厳命する。

一方、内偵を進めていたFBIの二人も地元警察のスリ係のタイガー警部(マーヴィン・ヴァイ)を訪ねた。すると警部は元スリで今は情報屋をしているモウ(セルマ・リッター)を紹介した。彼女は掏るときの手口から犯人を特定できるのだ。法外な情報料を支払わせた後、彼女はつぶやいた。

その手口はスキップだね、と・・・

時代性を感じさせるB級ティスト溢れる犯罪もの。

作品自体は強引な展開や端折りすぎなど、いかにも当時の風情が漂う作品に仕上がっている。

だが、冒頭の地下鉄でのアップを多用したスリ場面、主役二人の唐突なラブ・シーンなど、所々で見せる見事なカットつなぎやゾクッとするシーンなど監督の独特な美学を感じ取れる。

また、当時モダンな大都会というイメージが強かったニューヨークの裏町や主人公が根城にするイースト・リヴァーにポツンと建つ小屋など、洗練された都会とは違う胡散臭い実態を見せてくれる。しかし、それも本作が作られた以降に、もっと血生臭い犯罪が現実に起き、スラム街の真実が描写される作品が数多くでてくることを考えれば、可愛いとすら感じられる。それでも、当時としては考えられ、練られた設定ではある。

監督はコアなファンの多いサミュエル・フラー。アメリカではB級監督としてしか認知されていなかったが、フランスの批評家たちがこぞって賞賛したことから再認識された。これは日本の小津安二郎や成瀬巳喜男と似ている。母国では半ば忘れられたり、評価が低い監督が、海外で一躍脚光を浴び、再評価される。少し恥ずかしい気もするが、それによって見られなかった作品群に出会えるという喜びもある。

監督はジャーナリスト出身で、「東京暗黒街・竹の家」(1955)「裸のキッス」(1964) など、いかにものB級作品を手掛け、「最前線物語」(1980)、「ホワイト・ドッグ」(1981)といったある種、気骨ある作品を作っている。また、役者としてもゴダールの「気狂いピエロ」(1965)、「ことの次第」(1981)などでは出演もしている。

当時のこの手の監督といえば、ロバート・アルドリッチやドン・シーゲル、ロバート・シオドマクなどが挙げられようが、その誰とも違う作風を持っていた。ショットや編集など独特の美学が感じられるが、映画全体の構成力となると、いささか疑問符がつく。リズム感や起承転結といったトータル・バランスより、斬新なシーンやショットばかりが印象に残る作品が多いと思っている。職人というより、職人以上に頑固な芸術家という感じ。

俳優陣は、当時悪役専門で、どちらかというと脇役が多かったリチャード・ウィドマークがクールでシャープなスリ役を存在感たっぷりに演じている。また、本作まで清楚な役柄が多かったジーン・ピータースがイメージ・チェンジを図り、頑張ってはいるが、何といっても元女スリで情報屋を演じたセルマ・リッターの存在が圧倒的だ。前回の「ある戦慄」や、ヒッチコックの「裏窓」(1954)での家政婦役の他、「三十四丁目の奇蹟」(1947)、「イヴの総て」(1950)など、主役作はないが、脇で見事な存在感をだす女優だ。

ストーリィの組み立てや展開などは、いかにも50年代の犯罪ものというご都合主義的だが、粗野でいささか乱暴な監督の手法の異彩さを汲み取るには充分な作品。

ただし、見れば解るだろうが、この監督の好き嫌いははっきりと分かれるだろう。

余談雑談 2007年8月18日
確か、7月の終わりの天気予報では、晴れがない日々が続いたので『酷暑』から『冷夏』になるかもといっていた。 結果、信じた自分が愚かだった。観測史上の最高気温までもたらした『酷暑』。否や、一部の新聞では『炎暑』とか『炎熱』といった表現まで登場し