スタッフ
監督:ロバート・アルドリッチ
製作:スタン・ホウ
脚本:クリストファー・ノフ
撮影:ジョセフ・ビロック
音楽:フランク・デ・ヴォル
キャスト
ナンバー・ワン / リー・マーヴィン
シャンク / アーネスト・ボーグナイン
シガレット / キース・キャラダイン
クラッカー / チャールス・タイラー
ホッガー / マルコム・アタベリー
コーリー / ハリー・シーザー
警官 / サイモン・オークランド
操車係 / マット・クラーク
グレイキャット / エリシャ・クック Jr.
日本公開: 1973年
製作国: アメリカ ケネス・ハイマン・プロ作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
NYの地下鉄から離れて、大自然の中を疾走する列車にしてみた。不況の時代を背景に男の生き様を描く骨太作。
1933年、大恐慌下のアメリカ。全米で失業者が増大していた時代で、彼らには仕事もなく、当然、金もない。ゆえに大陸間を移動する手段として貨物列車への無賃乗車を試みる人間が後を絶たなかった。そういった男たちは『ホボ』と呼ばれていた。その中でもナンバー・ワン(リー・マーヴィン)は、どんな貨車でも無賃乗車を決める達人だった。
そんな彼はある日、盗んだ鶏を抱いて休憩していると若いホボたちに襲われる。リーダーは20歳そこそこのシガレット(キース・キャラダイン)。彼らも食料に窮していたのだ。だが、思った以上に屈強な彼に歯が立たない。しかし、ナンバー・ワンも相手が子供だと見て、完全には倒さずに、走ってきた貨物車に乗り込んだ。シガレットも何かに憑かれるように仲間の少年たちを見捨てて、彼の後を追って貨車に飛び乗る。自分は大物だ、とうそぶいて突っ掛かっていくが、そんなハッタリはナンバー・ワンには通用しなかった。悠然と構える彼に更に突っ掛かっていくシガレット。
しかし、 彼らが乗り込んだ列車が最悪だった。『第19号貨物列車』。車掌シャック(アーネスト・ボーグナイン)はホボを眼の敵にする鬼車掌だった。しかも、彼は無賃乗車をする人間たちを、人とも思わず、平然と殺すような男だったのだ。
そんなシャックに見つかった彼らは・・・
プライドに命を懸ける男たちを描くダイナミックな佳作。
大恐慌という時代。勝者と敗者がはっきりと分かれていた時代。ここでは大金持ちといった勝者は登場しない。いくらかでも勝者といえば、仕事にありついている人間。本作では鉄道従事者たちだ。そんな彼らも安い賃金で働かされていて、賃金も博打につぎ込んでしまう。
一方、金もなく日々の生活に窮している人間たち。彼らにはアメリカン・ドリームというとてつもない野望はなく、仕事や何かを求め全米を旅する男たちはアグレッシヴな方だ。何もない現在の場所より、新天地に活路を見いだす。まさに西部開拓時代の『フロンティア・スピリッツ』の流れとも言えよう。しかし、そういった目標を見失えば、単なる「流れ者」になる。
逆に、そういった生活に疲れ、ひっそりと森の中でコミュニティを形成し、生ける屍のように生活する者もでてくる。また、宗教に生きがいを見だそうとする人間たちもいる。
誰もが生きる希望などなく、小汚い。そういった登場人物の中で主人公は異彩だ。盗みなどなどをしてタフに生きているが、仕事をしようとか、夢を実現したいといった希望は、他の男たち同様、ない。しかし、仲間たちを殺し続ける車掌に敵愾心を持ち、彼の列車に長距離無賃乗車して一泡吹かせようということに生きがいを見いだすのだ。片や、受けて立つ車掌も一国一城の主としてのプライドがある。
双方とも一般の人間からは見れば狂気に満ちている。理性や合理性とは程遠い男のプライドのみに生きているのだ。そんな二人に絡んでくるのが、同じく精神を病んでいる若者。
だが、同じような偏った男であるにも関わらず、監督はまったく別な印象を与える演出を見せていく。粗野で無学だが真の男たちと口先だけの若者の世代感の違いを浮き彫りにしていくのだ。
そこにこそ、男の映画を作らせたら、右にでる者のいないアルドリッチの真骨頂が際立つ。主役二人の大人の男に俄かに友情を感じさせるような場面が登場するが、そこだけで終わらせないというのもファンにはたまらない。
彼の作品は、ここでも「攻撃!」(1956)、「飛べ!フェニックス」(1965)「特攻大作戦」(1967)、「燃える戦場」(1969)など数本扱ってきたが、すべてに共通するのが汚いほどの男臭さである。実際に汗や泥にまみれ、臭い体臭がこちらにまで伝わってくるほど。
本作もそういった展開である。それに、どこか往年の西部劇としてのティストをも残している。残虐な先住民の襲撃や派手なガン・ファイトなどなくても、男同士、己のプライドと力のぶつかり合いという単純明快な筋運びゆえに、当時、すでに作られなくなっていたウエスタンへのオマージュだと感じた。確かに緻密で破綻しない筋運びを期待の御仁には相容れない作風であるが、それこそが監督の人柄だろう。
主役二人を演じるのもアルドリッチ一家の大黒柱リー・マーヴィンとアーネスト・ボーグナイン。既に老年にさしかかっていた二人の力技ともいえる演技には舌を巻く。
本作は、かつてこういった男たちがいたからこそ、力対力で、自身の正義のためには武力行使もやむを得ずという、現代の『世界の警察』を自負する国家ができたと推察させてくれる。
アルドリッチよ、あんたには参った。