スタッフ
監督:ジョン・フランケンハイマー
製作:ステュワート・ミラー、ガイ・トロスパー
脚本:ガイ・トロスパー
撮影:バーネット・ガフィー
音楽:エルマー・バーンスタイン
キャスト
ストラウド / バート・ランカスター
シューメイカー / カール・マルデン
エリザベス / セルマ・リッター
ランソム / ネヴィル・ブランド
ガディス / エドモンド・オブライエン
コムストック / ヒュー・マーロウ
ステラ / ベティ・フィールド
ゴメス / テリー・サヴァラス
エリス医師 / ホイット・ビッセル
日本公開: 1962年
製作国: アメリカ ハロルド・ヘクト・プロ作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
引き続きジョン・フランケンハイマー作品。実話を基にした囚人の話。静かだが見事なる秀作である。
1909年アラスカ。若きストラウド(バート・ランカスター)は、恋人に手を上げた男を殺し、12年の刑に処せられた。数年後、仮釈放が決まりかけるが、同房の囚人が自分を溺愛してくれている母親(セルマ・リッター)を罵ったことから、カッとなり、相手に大怪我を負わせて、仮釈放が取り消されてしまう。
その後、彼は別の刑務所に移動になる。そこは規律に不従順な彼を忌み嫌うシューメイカー所長(カール・マルデン)が管理し、更に看守のランソム(ネヴィル・ブランド)とクレイマーが監視の目を光らせていた。そんなある日、ストラウドを眼の仇にしていたクレイマーに嫌がらせをされ、激昂して彼を殺害してしまう。この事件で彼に絞首刑が宣告される。だが、母親が大統領夫人に直接掛け合い、終身刑に減刑してもらうことに成功した。しかし、それは一生独房で他の囚人たちと一緒になることもなく、たったひとりで生きていくことだった。
以後も反抗的な態度を取り続けるストラウドだったが、とある雨の日、中庭で巣から落ちたスズメの雛を見つける。生き物など飼ってはいけない規則があったが、そっと独房に連れ帰り餌をやるストラウド。弱っていた雛は彼の作った餌にむさぼりついた。
その光景を見て、すさみ果てた彼の心に一条の光が差した・・・
粗野で無学な男が鳥の権威になっていく姿を丹念に追う秀作。
殺人事件を起こし、反抗的な態度を取り続けたことで一生を棒に振った男。そんな男が捕まえた鳥を調教し、刑務所内で繁殖させ、やがて当時なかった特効薬まで生みだし、更には本まで出版し鳥類の権威者になっていく。
これが実話であるのが面白い。原作者トーマス・E・ガディスは、主人公の存在を知り、何とか出版したいと願ったが、当局は面会や聞き取り調査を含め、一切の協力を拒否した。当然、映画化に当たっても刑務所のロケは許可されず、すべてを元受刑者たちの記憶からセットを作り撮影された。そして、本作が製作された当時、実際のストラウドはまだ収監されていた。
何よりも二十代から七十代までを演じた主役のバート・ランカスターが素晴らしい。当初、彼がいかに粗野で直情型の若者であったかを力一杯に演じ、鳥に興味を持ってからは実に味わい深く枯れていく姿を印象的に見せていく。
他にも、彼と敵対する所長を演じたカール・マルデンや、息子を溺愛し、やがて息子と獄中結婚するポジティヴな女性に嫉妬していく女の悲哀と傲慢さを醸しだした母親役のセルマ・リッターも見事。しかし個人的には長く主役と付き合うことになる、実直だが心優しい看守を演じたネヴィル・ブランドが強く印象に残る。
このネヴィル・ブランドという役者は、ごつい顔で悪役専門のB級映画の雄。テレビ・シリーズの「アンタッチャブル」でのアル・カポネ役や、「マッド・ボンバー」(1972)、「悪魔の沼」(1976)など、いつもだったら殺人者や異常性欲者役が圧倒的に多い俳優。また、本作にもでてくる実際に起きたアルカトラス刑務所での暴動を描いた「第十一号監房の暴動」(1954)では堂々の主役を演じている。だが、今回は抑えに抑えた演技で秀逸。
作劇としては、鳥の飼育から、病気の蔓延とその治療、特効薬の開発と、全体に独房の中での静かなシーンの積み重ねである。だが、実にそういった細かいエピソードの積み重ねが心に沁みてくるのだ。特に卵から雛が孵るシーンでの長回しのアップなど感動的。人を人と思わなかった男が『命』の誕生という崇高さに打たれる。見ているこちらも同様だ。
ただ、2時間半という長尺作品ゆえか、静かなシーンだけでは飽きられると思ったのか、派手な暴動シーンが後半に挿入される。そこで、一定していたリズム感が変わるので、些か混乱するかもしれない。それでも力作であり、秀作であることに変わりはない。
当時、31歳にしてこれほどの映画を作ったフランケンハイマー。その才能に憧れ、嫉妬する。