スタッフ
監督:ジョン・フランケンハイマー
製作:ジョージ・アクセルロッド、J・フランケンハイマー
脚本:ジョージ・アクセルロッド
撮影:ライオネル・リンドン
音楽:デヴィッド・アムラム
キャスト
マーコ少佐 / フランク・シナトラ
ショウ / ローレンス・ハーヴェイ
ロージー / ジャネット・リー
レイモンドの母 / アンジェラ・ランズベリー
チュンジン / ヘンリー・シルヴァ
アイスリン上院議員 / ジェームス・グレゴリー
ジョシー / レスリー・パリッシュ
ジョーダン上院議員 / ジョン・マッキバー
イェン・ロー / キー・デュー
日本公開: 1963年
製作国: アメリカ M・Cプロ作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
またもやジョン・フランケンハイマー作品。米ソ冷戦下の当時、アメリカがソ連や中国をどう捉えていたかがわかる作品。
1952年ワシントン。朝鮮戦争で窮地に陥った仲間9人を救出したことでレイモンド・ショウ軍曹(ローレンス・ハーヴェイ)は、大統領直々に勲章を授かった。彼の母親(アンジェラ・ランズベリー)は再婚相手のアイスリン上院議員を操縦しつつ、息子を利用して反共運動を高めようとしていた。
一方、ショウに救出された上官のマーコ少佐(フランク・シナトラ)は、帰国後、陸軍情報部に勤務していたが、連夜悪夢にうなされていた。それはとあるホテルで老婦人たちが園芸に関して話をしている場所に同席しているのだが、彼女らの他に、なぜかソ連や中国の要人たちもいるという内容だった。しかも、その後ショウが戦友を殺すシーンまで克明にでてくるのだった。
実はマーコやショウたちは中共軍に拉致され、洗脳を受けていたのだ。しかし、完全に相手の掌中に落ちたのはショウだけだった。やがて、中途半端にかかったマーコは仕事に支障を来たし、長期休暇を言い渡される。釈然としないマーコはNYにいるショウに会いに行く。そしてマーコがショウの部屋を訪ねるとかつて偵察隊の道案内をしていた韓国人チュンジン(ヘンリー・シルヴァ)がいたので、反射的に殴りかかり、乱闘騒ぎを起こしてしまう。なぜか彼に敵愾心を感じたからだ。
そんな彼を罵るショウ。彼には何の記憶もなかったのだ。しかし、後日、ショウの元に一本の電話がかかってくる。『トランプ占いをしないか』
その瞬間、彼の身に・・・
共産主義国の脅威を『洗脳』という手段を使って描くサスペンス映画。
当時、アメリカがいかにソ連や中国に脅威を感じていたか。最大の脅威は当然『核戦争』だが、本作では政府対政府でなく、一般社会に浸透しようとした恐怖を描いていく。
とはいえ、些か首を傾げたくなる部分も散見する。例えば、何故9名もいながら、ひとりしか洗脳できなかったのか。もし、そうだとしたら秘密を守るために、帰国後、ほとぼりが冷めてからでもいいから、他の8人を殺さないのか。韓国は儒教でなく仏教の国である、と言い切っているなど。
しかも、作劇法として最初から観客は誰が洗脳されているのかを知っているのに、主役がそれに気付くまでに時間をかけ過ぎている点である。
ただ、作られた時代を考えれば、非常に興味深い点も多い。ハリウッド映画でカンフー・ファイトがでてくる極初期の作品だろうし、日本の犯罪者として岸信介元首相の写真が登場したりする。
映画自体はアメリカの右翼陣営が、強烈に共産主義排除を謳いあげる展開を見せてゆく。異様なまでの右翼的権力志向。まるで赤狩りの再来とも感じた。そして、その代表が何と女性なのである。
それは洗脳されている元軍曹の母親。再婚相手の上院議員は単なるバカとして描かれ、権力を掌中に収めたいと願う、凄まじいまでの欲望が露骨にでてくる。やがて間抜けな亭主だけでなく、英雄として帰国した息子にまで君臨しようとしていく姿に身震いがした。そういった展開の中で、観客は、何故、軍曹が洗脳されやすかったを理解していくのだ。
そんな母親を演じるアンジェラ・ランズベリーの迫力ある演技に圧倒される。他の役者たちの印象が薄らぐほどだ。
脚本はジョージ・アクセルロッド。本来、「七年目の浮気」(1955)や「ティファニーで朝食を」(1961)といった都会派コメディの脚本家だが、中々どうして、サスペンスも上手いと思った。しかも、彼はプロデューサーまで兼任している。もしかして、彼の思想的心情を吐露したということだろうか。
映画は終盤に差しかかってからが抜群に面白い。観客が感じていた不満が紐解かれるからである。それは一体何をさせたいがゆえ洗脳し、本国へ戻したのか。そして、その鍵を握るのは一体誰なのか。真の目的が明らかになるとき、戦慄を覚えた。
いささか冗漫な展開とも感じるが、終盤、短いカットバックで一気にサスペンスを盛り上げるフランケンハイマーの手腕には唸ってしまった。
どこか体制側の感じもするが、やはり上手い監督だ。