スタッフ
監督、脚本:スタンリー・キューブリック
製作:ジェームス・B・ハリス
脚本:カルダー・ウィリンガム、ジム・トンプソン
撮影:ゲオルグ・クラウゼ
音楽:ジェラルド・フリード
キャスト
ダックス大佐 / カーク・ダグラス
パリス伍長 / ラルフ・ミーカー
ブールラード将軍 / アドルフ・マンジュー
ミロウ将軍 / ジョージ・マクレディ
ロジェ中尉 / ウェイン・モリス
アーバン少佐 / リチャード・アンダーソン
アーノー / ジョセフ・ターケル
フェロル / ティモシー・ケリー
デュプレ神父 / エミール・メイヤー
日本公開: 1958年
製作国: アメリカ ブライナ・プロ作品
配給: ユナイト、松竹
あらすじとコメント
前回、上官と政府の間で揺れ動く将校を演じたカーク・ダグラス。今回も同じような中間管理職的将校を演じる作品にしてみた。これも傑作。なぜならキューブリック監督作品だから。
1916年、第一次大戦下のフランス。二年に及ぶ戦闘でドイツ、フランス両軍は膠着状態だった。
とある前線で、ドイツ軍が一年以上も守り続ける『蟻塚』と呼ばれる拠点があった。ある夜、偵察にでたパリス伍長(ラルフ・ミーカー)は、同窓だが軍隊では上官のロジェ中尉(ウェイン・モリス)が酒に溺れ、部下を間違って射殺した現場を目撃する。しかし、保身に走ったロジェは偽の報告書を作成し、将校と下士官のどちらの意見が通るか、と逆に脅迫した。
一方、フランス軍上層部のブールラード将軍(アドルフ・マンジュー)は、蟻塚を挟んで対峙する師団のミロウ司令官(ジョージ・マクレディー)に2日以内で奪取せよと命令を下す。不可能だと答えるミロウに、昇進が懸かっていると告げる将軍。
途端に顔色を変えたミロウは、すぐさまダックス大佐(カーク・ダグラス)に突撃命令を発令する。ダックスは反発するが、軍隊では上官の命令は絶対であった。
仕方なく陣頭指揮を執り、総攻撃を開始するが、猛烈な反撃に遭い撤退を余儀なくされた。面目を潰されたミロウは、士気を鼓舞するための見せしめとして、敵前逃亡の罪を三名の兵士に被せ、建前上の軍法会議を開いた後、銃殺することを決定。三名の選出は各部隊長に一任された。
結果、嫌われ者のフェロル(ティモシー・ケリー)と、くじ引きで決まったアーノー、そしてロジェ中尉直々の命によりパリスが選ばれた。
そのことを知った元弁護士のダックスは弁護を申しでるが・・・
痛烈な軍部批判を通して描く反戦映画の傑作。
この手の作品では、兵士が上層部の駒として利用され、死んでいくというスタイルが多いが、本作も同じである。ある意味、ストレートな内容だ。しかし、キューブリックの視点は冷静で、かつ鋭い。
後方の豪勢な城でゆっくり寛ぐ将軍たち。自分たちの出世のために兵士たちの犠牲は止むを得ないと思っている。その優雅な時間を楽しむ上層部と対比される戦場の悲惨さ。この戦闘シーンは見事。
砲弾が炸裂し、粉塵を上げる塹壕の中で、へばり付くように突撃命令を待つ兵士たちをドリー(移動)撮影で延々と追っていくショットに鳥肌が立ち、やがて、命令が下ると一斉に飛びだしていく姿を様々なアングルで追う。アップ・ショットやドリーという編集が見事なリズム感を産み、凄惨な戦場の臨場感を見せつける。
壮絶な戦闘が終わり、動の世界から一転し、軍法会議での静の場面へと変化していく緩急の付いた、だが、緊張感を伴った編集のリズム感も素晴らしい。
この軍法会議の場面では、画面に写しだされるすべてにピントが合ったパン・フォーカスと呼ばれる手法や、非常に意味を持った人物のアップ、手前にだけピントが合い後方はぼけているという画面などが、完璧なまでに監督が意図したテクニックとして駆使される。そのどのカットにも、誰が正義で誰が悪かということを際立たせる卓越したセンスが感じられる。
内容も将軍対大佐という上層部の対立から、同窓の将校と下士官という対比まで、常にクールに善と悪を際立たせて描いていく。そんな保身に走る将軍や将校にも、やがて自分の立場の脆さを味あわされるという展開が用意されている。しかし、完全懲悪とはならない。
更に戦闘シーンの他に、後半もう一度、ドリー撮影の場面がでてくる。それは静かな場面ではあるのだが、戦闘シーンと同じ緊張感と切迫感を痛感させられる場面になっている。
動と静、ドリー撮影といった同一の手法で強調され、それが繰り返されることによって、印象的に対比されるストーリィ展開。
また、ラストでは人物のアップが多用されるシーンが意図的にでてくる。ここでは軍事法廷のときと同じ雰囲気が生まれ、そのアップの連続になる前の場面の切ないほどの昂ぶりと相まって、戦争の悲惨さが強調され、無常感に陥る。
だが、それだけでは終わらないのだ。そこに卓越した奇才キューブリックの真骨頂が浮かび上がる。
天晴れだ、キューブリック。