スタッフ
監督:ピーター・ハイアムズ
製作:アーウィン・ウィンクラー、ロバート・シャートフ
脚本:ピーター・ハイアムズ
撮影:アール・ラス
音楽:ビリー・ゴールデンバーグ
キャスト
キニーリー / エリオット・グールド
ファレル / ロバート・ブレーク
リゾー / アレン・ガーフィルド
ステファン / アントニオ・ファーガス
マーヴィン / マイケル・ラーナー
ジャッキー / コーネリア・シャープ
ドリス / エリン・オライリー
シンプソン判事 / アイヴァー・フランシス
ウェルドマン / ウィリアム・スルヴェスター
日本公開: 1974年
製作国: アメリカ ウィンクラー&シャートフ作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
引き続き刑事モノ。今回は下っ端コンビが活躍するB級ティスト溢れる小品。
アメリカ、ロサンジェルス。とある歯科医院に美女の患者ジャッキー(コーネリア・シャープ)がやって来る。彼女は治療室に入ると、歯科医の前でいきなり服を脱ぎ始めた。何と、彼女は医者が毎週呼んでいる売春婦だったのだ。
風紀課の刑事キニーリー(エリオット・グールド)とファレル(ロバート・ブレイク)は、その確証を得ると、客を装い、彼女の家に押し入り顧客リストを押収し、現行犯逮捕した。すると二人はすぐに上司に呼び付けられ、公衆トイレに出没する同性愛者の検挙を命じられる。
しかも、彼女の逮捕について更に上からの圧力があり、法廷で彼女に有益な証言をしろと命令される。つまりは、彼女を不起訴扱いにするというのだ。何やら癒着を感じ、署内に保管してある押収した顧客リストを検証しようとすると、何と中身が入れ替わっていた。間違いなく警察と犯罪組織が癒着している。しかし、下っ端の警官として上の命令には服従せざるを得ない。不承不承、証言するキニーリー。結果、彼女は無罪放免となる。
しかし腹の虫が収まらない二人はジャッキーを含む売春組織と麻薬を牛耳っているボス、リゾー(アレン・ガーフィルド)を何とか逮捕しようと画策を始めるが・・・
法の番人として正義の警察官であろうとするコンビと現実の闇を描く刑事ドラマ。
丁度、刑事ドラマが変貌を遂げてきた過渡期の作品。
当初は「Gメン」(1935)、「連邦警察」(1959)といった正義の味方である刑事を描いてきた完全懲悪調から、「探偵物語」(1952)などの刑事たちの私生活の問題や悩みを取り入れた人間ドラマ重視への変調。そして「ダーティ・ハリー」(1971)や「フレンチ・コネクション」(1971)といったスーパー・ヒーロー的キャラクターの出現。以後、本作のような警察とギャングの癒着や汚職など内部告発的社会派へと変わっていった。
つまり、表向きのアメリカの正義から、問題や病巣を抱えたリアルな世界を描きだす作品へと変貌を遂げていった。現代ではどの作風も残っているが、好き好きは分かれよう。
そういった流れの中で、当時、本作が興味深いと感じたのは主役のコンビ設定。今まではどこかヒーロー然とした主人公とあくまでもサブキャラとしての相棒という描き方から、『パートナー』として平等に扱い、等身大の人間として描いていること。
しかも、奇を衒うような発想や超人的アクションはない。実に地味な展開をする。その上、敵役のボスも大人物という風情はない。トップ同士の癒着を知りつつ、反抗しない中間管理職の上司など妙にすべてがリアルなのだ。だからB級ティストが漂う。
しかし、そんな中、派手なシーンも登場する。それがスーパー・マーケットでの銃撃戦だ。このシーンは信じ難いドリー(移動)撮影で描かれる。絶妙に計算し尽くされているが、ごく自然に流れるように進む場面だ。
段差があり、碁盤の目に並ぶ棚。店内中央には大きな冷蔵品コーナーもある。そこに買い物客が多数いて銃撃戦を避けつつ、身を屈めたり、逃げ惑う。流れ弾に当たり倒れる客もでる中、犯人を刑事コンビが追跡する。それを一定のリズムを維持しながら、入口から出口まで追い続けるカメラ。当時、どうやって撮影したのかと話題になったものだ。
監督は現在も活躍するピーター・ハイアムズ。本作がデビューだ。個人的にはご贔屓監督のひとりである。ただ、昨今のCGを多用したヘンなSF大作はいただけないが。
初監督作なので力が入っているはずだが、妙に脱力感が漂う作風に好感を持った覚えがある。
どこか不条理感さえ漂う、安っぽいが渋さも感じる佳作。