スタッフ
監督:ジョン・フランケンハイマー
製作:エドワード・ルイス
脚本:ウィリアム・ハンレィ
撮影:フィリップ・ラズロップ
音楽:エルマー・バーンスタイン
キャスト
レティッグ / バート・ランカスター
エリザベス / デボラ・カー
ブラウディ / ジーン・ハックマン
ウェッブソン / スコット・ウィルソン
ブランドン / ウィリアム・ウィンダム
アニー / ボニー・ベデリア
ウェートレス / シェリー・ノース
パイロット / カール・レインデル
ドンフォード / ジョン・ナピアー
日本公開: 1969年
製作国: アメリカ MGM作品
配給: MGM
あらすじとコメント
前回の「フレンチ・コネクション2」の主役ジーン・ハックマンと監督のジョン・フランケンハイマー。実は以前にもコンビを組んでいた。だが、フランケンハイマーにしては実に静かな作品。
アメリカ、中西部。娯楽の少ない田舎町を転々として、スカイ・ダイビング・ショーを見せる男三人。年長のレティッグ(バート・ランカスター)、ブラウディ(ジーン・ハックマン)、そして若いウェッブソン(スコット・ウィルソン)。彼らはポンコツの車で、汚れたトレーラーを引っ張りながら移動を続け、寝起きを共にしていた。
次の開催地はカンザスのブリッジビルという小さな町だった。実はこの町、ウェッブソンの生まれ故郷で、両親が交通事故で死ぬまで少年時代を過した場所だった。彼は、帰ってきたことを叔母のエリザベス(デボラ・カー)に告げた。
エリザベスは若いころ、ウェッブソンの父親を愛していたが、自分が故郷を離れている間に妹と結婚されていたのだ。そして熱い思いを封じ込め、現在の亭主と結婚した。事故で両親を亡くし、どこか父親の面影が強いウェッブソンを養子にしようとしたが亭主に反対され、泣く泣く手放した過去をもっていた。
そんな彼が成長して帰ってきたことを素直に喜び、ショーをしている間は、三人共自宅に滞在するように勧めた。男たちも、いつもはしがないモーテル住まいの上、不味い食事しか摂っていなかったので大喜びする。
好意を受け、やって来たレティッグは、瞬時にして、エリザベスと亭主の関係が冷え切っていることを見抜いてしまう・・・
大人の人間たちの心の機微を静かに描いたロード・ムーヴィーの佳作。
驚いたのは、骨太監督フランケンハイマーが、実にしっとりとした作風もこなせると感じさせたこと。
しかも主演は「明日なき十代」(1961)、「終身犯」(1961)から、「五月の七日間」(1963)「大列車作戦」(1964)と4作もコンビを組んだバート・ランカスターだ。当時、どんな骨太作かと思っていた。しかし、当時流行のアメリカン・ニュー・シネマにも似た展開で唖然とした記憶がある。
ところが、そんな単純なことにはしないのがフランケンハイマーの良いところ。通常、アメリカン・ニュー・シネマは若者たちの反体制的な角度からの自分探しという作品が多いが、本作は中年たちがメイン。しかも、主人公は長きに渡って旅を続け、先行き不透明なその日暮らしという人生に行き詰まりを感じている男。そこに命を張ったスカイ・ダイビングというショーに、刹那的で、どこか自暴自棄さを感じさせる職業を絡ませた。
だだっ広い荒野を走り、高度4000メートルという広大な視点で描きだす画面は広さを感じさせる。だが、それが逆に、否が応でも孤独と閉塞感を増幅させるのだ。奇を衒わないが、常にウェット感が付きまとうカメラ。
一方、旅がらすの男たちと違い、自分を押し殺して結婚した中年女。昔、夢を見て故郷を飛びだしたせいで最愛の男との結婚を逃し、以後、自分を戒めるようにひっそりと田舎に住んでいる。
旅を続けているが心に閉塞感を持つ男と、同じ場所に居続けてはいるが心は彷徨っている女。
そんな主役二人の他、相棒のハックマンは安酒場でウエートレスを引っ掛け、若きウィルソンは叔母の家に下宿している女学生が気になる。
それぞれの男が抱える孤独。どこか安いが、ガツンとくる二級酒のような味わいがある作風に酔った。登場人物それぞれに万感迫るエピソー ドがあり、どの人物に感情移入するかで味わいが変わる。
旅を続ける人間という意味では日本の「男はつらいよ」にも似た、寂寥感と人間の脆さが共通するかとも思うが、本作には笑いはおろか、アメリカの広大さゆえの救いようのない孤独が際立ち、胸が締め付けられる。
フランケンハイマー監督作としては異色だが、個人的には好きな作品。