旅路 – SEPARATE TABLES(1958年)

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スタッフ

監督:デルバート・マン
製作:ハロルド・ヘクト
脚本:テレンス・ラティガン、ジョン・ゲイ
撮影:チャールス・ラング
音楽:デヴィッド・ラスキン

キャスト

マルカム / バート・ランカスター
シビル / デボラ・カー
ポロック元少佐 / デヴィッド・ニーヴン
アン / リタ・ヘイワース
ミス・クーパー / ウェンディ・ヒラー
ベル夫人 / グラディス・クーパー
マセソン婦人 / キャサリン・ネスビット
ミーチャム / メイ・ハラット
チャールス / ロッド・テイラー

日本公開: 1959年
製作国: アメリカ ヘクト、ヘル&ランカスター・プロ作品
配給: 松竹、ユナイト共同配給


あらすじとコメント

引き続きバート・ランカスターとデボラ・カー共演作。シーズン・オフのリゾート・ホテルで繰り広げられる人間たちの闇を描く静かな作品。

イギリス、ボーンマス。ミス・クーパー(ウェンディ・ヒラー)が経営するこじんまりとしたボールガード・ホテル。

宿泊客たちは個性派揃いだった。第二次大戦時代は英雄だったポロック元少佐(デヴィッド・ニーヴン)、臆病な娘シヴィル(デボラ・カー)を服従させ、嫌味たっぷりに自分こそ上流階級の申し子として振舞うベル夫人(グラディス・クーパー)などが、日がな何をするでもなく、滞在していた。そんな中で、異色だったのはアメリカ人作家マルカム(バート・ランカスター)だ。彼は毎夜、酔い潰れて帰ってきて、婦人たちから野暮で無粋なアメリカ人として毛嫌いされていた。だが、そんな彼は皆に隠れてミス・クーパーと付き合っていた。

ある晩、ホテルに大きなスーツ・ケースを6個も持った美女がやって来た。彼女はセレブなモデルのアン(リタ・ヘイワース)。アンはミス・クーパーに滞在客にマルカムという男がいるか、と訊ねた。とっさに二人の間には何かあると直感するミス・クーパー。当のマルカムはまだ、外出中だった。

一方、ポロック元少佐は、なぜか異常なほど地元紙を気にしてミス・クーパーに、ここで購読している人間がいるかとか尋いてきたりと、支配人として、客たちの対応に追われていた。

そこへ泥酔したマルカムが戻ってきて・・・

実に個性的な人間たちが繰り広げる人間ドラマの佳作。

オリジナルは英国の劇作家テレンス・ラティガンの舞台劇。舞台劇ゆえに登場人物たちは皆、個性的である。

主要キャストの他にも、元高校教師、元貴族の老婦人、競馬新聞を手離さない女性、受験勉強と称して一応、別々の部屋に滞在する若いカップルなどが登場する。

その上、いかにも舞台劇らしくすべてがセットで作られ、どこか上質の舞台を見せらている感覚に陥る。

原題は「別々のテーブル」。これはホテルの食堂の長期宿泊客たちに割り当てられた個別の小さなテーブルを指しているが、それぞれの人間たちが持つ個人の小さな領域をも意味している。また、彼らの心情をより理解し易くするために選ばれた冬というシーズンが、登場人物それぞれの秋風や寒風を際立たせる展開に寄与している。

ただ、日本人には季節外れのリゾート・ホテルに長期滞在する人間たちというのは理解しづらいものがあるかもしれない。自炊しながら滞在する温泉湯治客とも違う気がするし、豪華な客船であちらこちら旅行を続けるのとも違う。

俗世界とは一線を画し、ひっそりと、だが、自身としての独特な価値観を持って過す。こういった心情が理解できないと、まったく入り込めない世界観でもある。

映画は、そういった人間たちが織り成す、ある晩から翌朝までの半日の出来事を描いていく。ストーリィのメインとなるのは、アメリカ人作家とセレブ・モデルとホテルの女主人との関係。もうひとつは慎ましく自分は英雄だった、と存在感を紳士的に誇示する元少佐の人となり。そのどちらにも強力に関係してくるのが聖人君主だと自負し、周囲を威圧しようとする老婦人。そんな彼女が母親ゆえに萎縮し、情緒不安定な娘。

決してひねった設定や展開はない。だが、皆、負け犬感や自ら人生を降りたと自負する人間たちの狭小な、本当に手の平サイズの人間としての価値観を際立たせていく。そこに個人主義の発達した世界ゆえの孤独と弱さが増幅される。

当然、台詞劇なので役者たちの力量に左右される映画でもある。その点、皆、素晴らしい。中でも、特に見事なのは、元少佐役のデヴィッド・ニーヴンと女主人を演じたウェンディ・ヒラー。事実、この二人はアカデミー主演男優賞と助演女優賞を本作で受賞している。

また、脆弱で身勝手な人間たちの織り成すドラマは日本の映画監督、成瀬巳喜男の世界に通じるものがあると感じた。特に、本来、頼り甲斐があるべき男たちの脆さは、やはり女性には敵わないという反面教師として描かれている部分に、それを強く意識させられた。

ラスト、心寂しき人間たちが集まり、やがて全員が食堂の自分専用のテーブルに着席した中で起きるシークエンスは、良質の昔の日本映画の人情ドラマを見せられているようで胸が熱くなった。

派手ではない。だが、自らの明日を夢見るために、他人を許容することの大切さを感じさせてくれる良作。

余談雑談 2008年2月23日
『梅は咲いたか、櫻はまだかいな』 何気なく、暖かな陽光に眼を細めながら、この詠を口ずさんでしまう。寒かったから暖かいのは嬉しい。思いの他、今冬は寒かったので、余計にそう感じる。 だが、花粉症の人はそんな悠長なことは言っていられないのだろう。