独立愚連隊 西へ         昭和35年(1960年)

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スタッフ

監督: 岡本喜八
製作: 田中友幸
脚本: 関沢新一、岡本喜八
撮影: 逢沢譲
音楽: 佐藤勝

キャスト

左文字少尉 / 加山雄三
戸川軍曹 / 佐藤充
早川 / 中谷一郎
大江大尉 / 平田昭彦
梁 / フランキー堺
金山中尉 / 中丸忠雄
六合子 / 水野久美
神谷一等兵 / 堺左千夫
関曹長 / 山本廉
北原少尉 / 久保明

製作国: 日本 東宝映画作品
配給: 東宝


あらすじとコメント

今回は和製戦争映画。敗戦国ゆえに暗い作品が多い中、岡本監督の才気がほとばしっている異色戦争映画の快作。

第二次大戦末期の中国、北支戦線。敗戦色濃い中、歩兵第463連隊は中国軍の攻撃を受け玉砕してしまう。すぐさま、連隊駐屯地である「将軍廟」にいる留守隊長の大江大尉(平田昭彦)に、師団の命である連隊旗を見つけだせという厳命が届く。しかし、そこにはロクな兵士は残っていなかった。

続いて、新しい補充兵たちが転属してくるという一報が入ってくる。今どき、ちゃんとした兵隊など転属してくるはずもないとバカにするが、敷地内で売春宿を経営する早川(中谷一郎)は、部隊名を聞いて愕然とする。左文字少尉(加山雄三)率いる通称『独立愚連隊』だというのだ。一体、何者たちだと早川に詰問する大江大尉。何と、彼らは戦死したと公報に記載されたが、その後生還し、処理に困った陸軍がひとまとめにして危険な地域へばかり派遣したが、誰一人死なないという異色の部隊だというのだ。

それなら好都合だとばかりに、大江大尉は彼らが転属して来るのを心待ちにするが・・・

スポーティな西部劇のようなアクション戦争映画の傑作。

本来、戦後作られた日本の戦争映画は内部告発的な陰惨な反戦映画か、最後には全員が玉砕していく悲劇という作品がほとんどだった。

それは恒久平和を謳い、二度と戦争には参加しないというアメリカ占領下での指導があり、また、軍部指導下で自由にものが言えなかった時代に虐げられた人間たちが、本当の心情を吐露するという趣旨もあった。

ゆえに暗い作品ばかりだった。そこに登場したのが本作である。

娯楽作として戦争映画を作る。しかも当時の日本人が憧れた単純明快な西部劇のような展開にして、コメディを絡ませるというスタイルで。

先ず、設定からして絶妙。何せ、本作の兵隊たちは、一度は死んだと認定された男たち。ゆえに開き直った性格にして、個性が強く、軍規軍律など完全に無視。そもそも彼らの登場シーンからしておかしい。霧の中、敵軍と対峙しながら、戦わずにひたすら走る。続いて、留守大隊に赴任するときも、到着申告をすれば先方の指揮下に入るから、と申告前に売春宿へ直行する。

こういった面々が、敵地のど真ん中に放り込まれる。当然、一筋縄では行かないというコメディ要素満載で進行するが、脱走兵やスパイ、名誉欲に取り付かれた兵士などが絡んできてサスペンスフルな展開をも見せる。

それらが渾然一体となって、見事に緩急のついた作劇に唸って見た記憶がある。

何といっても岡本監督のリズム感溢れる作風には頭が下がる。監督の作品には常に一定した編集のリズムがあり、独特なカメラ・ワークやメリハリの効いた展開のものが多い。更には自分の息のかかった役者たちの一家を抱え、どの作品でも監督の意思を汲むスタッフ、キャストがいた。

特に面白いのは役者選びのセンスである。主役級は会社の意向もあるから、しょうがないとして、二枚目でもなく、人気がでるほど華もないゆえに大した役を貰えず、出演作だけは多いという当時の大部屋俳優たちへの役の振りかたは素晴らしい。

例えば、『子分B』とか、『タクシー運転手』といった多少の台詞はあるものの役名さえ付いてない役ばかりを演じてきた俳優にスポットを浴びせる。しかも監督の得意技は二枚目に悪役なり、敵役を演じさせ、ゴツくてコワモテな俳優に正義の味方を演じさせる。

ちなみに本作は、加山雄三の初主演作である。新人なので、いささかぎこちないが、脇を固める助演陣は全員が素晴らしい。喜八一家の大黒柱で和製リチャード・ウィドマークと呼ばれていた佐藤充を筆頭に、TVシリーズ「水戸黄門」の『風車の弥七』役で有名な、売春宿店主を演じる中谷一郎。

その他も、喜八一家のオンパレード。他の監督の作品を見れば、いつも同じ役者がでているのに気付くだろう。そうして無名な脇役の名を覚えていくのも楽しみだった。だから彼らも、自分の名前が浸透するので、喜んで監督作品に出演し、主役たちを喰ってやろうと熱演する。だが、本作で一番美味しい役は、中国軍の将校を演じたフランキー堺だろう。出番は少ないが、強烈な印象を残す。いやはや見事な役者だ。

監督は本作の前に「独立愚連隊」(1959)を作っているが、本作とはティストがまったく違う。そもそも本作は題名こそ同じであるが、関連性はないので、前作の続編だと思って見ると違和感を覚えるかもしれない。

だからこそ、敢えて前作でなく本作を扱ったのは、もし、日本映画に慣れていない人に勧めるのであれば、本作から見て欲しいからだ。その方が取っ付きやすいし、当時の日本映画の底力を感じ取りやすいだろうから。

前作も本作もDVDがでている。順番は前後しても構わないと思うが、是非、両作とも見てもらいたい。きっと監督の反骨精神を感じ取ることができるだろう。

また、監督は戦争体験者のひとりであり、自分が生き残ったことへの贖罪の意識もあったという。その精神があるからこそ、本作のような徹底した娯楽として戦争映画が撮れたのだろうとも推察している。

日本映画には珍しく、肩の凝らないアメリカ映画のような作劇に酔える、痛快な娯楽作として楽しめる逸品。

余談雑談 2008年3月11日
ここをどうするか悩んだ。何か、日常の心象や映画のこと以外でないか。 でもって、<番外編>のみ、このコーナーで『都々逸(どどいつ)』を扱うことにした。 都々逸とは、短歌や川柳のように『七・七・七・五』で作るもので、昨今は完全に忘れ去れた文芸と