スタッフ
監督:バート・ケネディ
製作:ウィリアム・ボウワース
脚本:ウィリアム・ボウワース
撮影:ハリー・ストラッドリングjr
音楽:ジェフ・アレキサンダー
キャスト
マッカラー / ジェームス・ガーナー
ブルーディ / ジョーン・ハケット
ダンビー / ウォルター・ブレナン
パーキンス町長 / ハリー・モーガン
ジェイク / ジャック・イーラム
ジョー / ブルース・ダーン
ジャクソン / ヘンリー・ジョーンズ
デヴァリー / ウィリアム・ブッチ
ジョンソン / ウォルター・バーク
日本公開: 1969年
製作国: アメリカ チェロキー・プロ作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
前回、歴史上有名な保安官を渋く演じたジェームス・ガーナー。今回も彼が保安官を演じた西部劇。しかし、ガラッと変わってコメディだ。
開拓時代のアメリカ西部。カレンダーという小さな田舎町で偶然金脈が発見され、寂れた町は一挙にゴールド・ラッシュで沸き返った。あっという間に一攫千金をもくろむ人間が流入し、毎日が大騒ぎ。無法者が通りを闊歩し、娼婦は笑顔を振りまき、喧嘩や決闘が繰り広げられる。そのあまりの荒々しさに保安官は誰も長続きせず、無法地帯と化していた。そこで町長は『保安官募集』の張り紙をだした。
それを見て応募してきたひとりの男。彼はマッカラー(ジェームス・ガーナー)と名乗り、給料は幾らくれるか、と尋いてきた。飯を食う金にも事欠いていたのだ。確かに見かけはガッシリとはしているが、どこかヌボーッとしていた。町長はどうせ長続きしないだろうと思いながらも雇うことにする。住む場所もないというので、自宅に下宿させる。しかし、そこには町長の娘で金鉱探しに血眼になっている男勝りの娘ブルーディ(ジョーン・ハケット)がいた。その娘がどうやら、脈アリの気配になる。驚く町長やマッカラー。
そんなマッカラーが保安官助手に任命したのは町一番の嫌われ者で無法者ジェイク(ジャック・イーラム)。町の人間たちもどうしてジェイクが任命されたのか首を傾げるばかりだ。保安官になった二人は建物だけは立派だが、収監用鉄柵もない事務所で活動開始。逮捕第一号になったのは酒場で丸腰の相手を射殺し、正当防衛を主張したジョー(ブルース・ダーン)。
だが、彼は地域一体を取り仕切る牧場主ダンビー(ウォルター・ブレナン)の息子だったことから・・・
これぞB級、これぞC調西部劇コメディの代表作。
何が面白いかといって、主人公のキャラクターが先ず挙げられる。掴みどころがなく、いつもヌボーッとしている。強いんだか、弱いんだかまったく解らない。だけど、銃の腕は確かなようだ。
実力を見せろと町長に言われ、雑貨屋の中で5円玉に似た、穴開きのナットを放り投げて銃で撃つ。当然ナットは穴が開いたまま戻ってくる。そこで一言、「狙いすぎて、弾が穴の中を通った」と。呆然とする人間たちに、次は切手を穴に貼って再チャレンジすると言い、落ちてきたナットには見事穴が開いている。今度は唖然とする周囲を他所に、表情も変えずに、さも当然という感じで佇んでいる。確かに腕は良いようだ。
こんなキャラクター は今までの西部劇ではいなかった。その上、口八丁。言葉巧みに相手を懐柔する手腕も見事。それはホームレスのように汚く、町中の鼻つまみ者を助手に任命するときに発揮される。当然、命がいくつあっても足りない町で保安官助手を募るのだ。普通だったら、絶対に受けない。粋がって強面を装う男が、口車にコロリと乗せられる。しかも、驚いたのは周囲よりも自分というのが笑わせる。
その上、初めて逮捕したバカ息子も、あっという間に懐柔される。続いて、鉄格子のない牢屋の場所にペンキで線を書き、これが境界線だと言い放つ。しかし、どうやら腕は本当に立つらしいので、どうしたものやらと悩む息子。
こういったバカバカしいエピソードが連発する。ただ、今見ると、時代の流れで些か、間の抜けた印象を受けるかもしれないが。
主役のガーナーは「大脱走」(1963)や「墓石と決闘」(1967)などで渋い二枚目を演じてきた。ところが、中々どうして芸域の広い役者だと思った。
そんなガーナーより上を行くのが保安官助手役のジャック・イーラム。ギョロ眼で太っていて、間の抜けたアーネスト・ボーグナインのようだ。または、「スター・ウォーズ」にでてくる『ジャヴァ・ザ・ハット』にも似ている。いつも悪役にしてチョイ役専門の俳優。本作では、今までの不遇を一挙に爆発させたような演技で他を圧倒している。
とはいっても、アカデミー賞を3度も受賞した名優のウォルター・ブレナンや、当時売出し始まったブルース・ダーンなど、皆、的を得た演技で笑わせてくれる。
監督は脚本家からTVドラマの演出をしていたバート・ケネディ。ご贔屓監督のひとりだ。「モンタナの西」」(1964)、「続・荒野の七人」(1966)と、割と真面目な西部劇を作ってきたが、この作品で隠れたコメディの才能が開花した。
個人差もあるだろうが、真面目にコメディを作る才能が集まったケッ作、決して『傑作』ではない、だと位置付けしている大好きな作品。