今回の都々逸。「思いおもわれ 積りしはては 求めた苦労とあきらめる」
最後の「あきらめる」は、別れるという意味ではないだろう。多分、これは愛人の立場の女性が詠んだ句だと思われる。妻子持ちに惚れた自分にも非がある。ゆえに『日陰の女』として生きていく所存である。しかし、ある意味、底冷えのする恐怖も感じる。
昨今は、嫌だったら別れるし、我慢もしない。恋人や結婚していてもそう感じ、行動する人間が増えた気がする。
人間は便利が当り前になると努力や我慢を忘れる。やがて、それが基準になる。『面倒臭いことは嫌い』が蔓延し、『だって、しょうがないじゃない』が通用する。
ということは、かつて男の甲斐性と言われた『愛人を持つ』ということも簡単に使い捨てにして良いという発想になるのだろうか。別に、男だから愛人を持てと言っているのではない。
ヘタにそんなことをすれば、現代では違う『恐怖』が待っているに違いないだろうから。