スタッフ
監督:スタンリー・キューブリック
製作:ジェームス・B・ハリス
脚本:S・キューブリック、ジム・トンプソン
撮影:ルシアン・バラード
音楽:ジェラルド・フィールド
キャスト
クレイ / スターリング・ヘイドン
フェイ / コリーン・グレイ
キャノン / ヴィンセント・エドワーズ
アンガー / ジェイ・C・フィリッペン
シェリー / マリー・ウィンザー
ピアッティ / エリシャ・クック jr
アーレン / ティモシー・ケリー
ケーナン / テッド・デ・コルシア
クワリアニ / モーリス・オブークホフ
日本公開: 1957年
製作国: アメリカ ハリス・キューブリック・プロ作品
配給: ユニオン映画、映配 共同配給
あらすじとコメント
金のために集まるプロたち。こういった作品の定番といえるひとつが強盗モノだ。数多く作られているが、印象深い作品は少ない。その中の一本。
アメリカ、とある地方都市。刑務所から出所したばかりのクレイ(スターリング・へイドン)は、懲りずに新たな強盗計画を練っていた。それは大金が飛び交う、9月最終土曜日に行われる競馬場の売上金を強奪するというものだった。
既に、仲間の人選はほとんど済んでいた。彼を息子のように思っていて資金提供してくれるアル中気味のアンガー。病弱な妻を抱える競馬場のバーテン、オライリー。借金で首が廻らない警官ケナン(テッド・デ・コルシア)、払戻し窓口係の気弱なピアティ(エリシャー・クックjr)だ。クレイは更に、直接、計画自体には加えないが、元プロレスラーのクワリアニと狙撃のプロ、アーレン(ティモシー・ケリー)に大金を払って自分たちの仕事だけを教えた。
分刻みで各々が行動すれば、間違いなく成功するという確信を得ていた。しかし、ピアティが強欲で派手好きな妻シェリーに計画をふと、打ち明けてしまって・・・
完全なはずの強盗計画が崩れ去っていく様を描いた秀作。
邦題は以前ここで紹介した「現金に手を出すな」(1954)同様、「げんきん」と読まずに『げんなま』と呼ぶ。あちらはフランス製フィルム・ノワールの佳作だったが、こちらは些か毛色が違う作品。
監督は奇才スタンリー・キューブリック。本作製作時は弱冠28歳であった。それにしては見事な作品である。
映画の進行はセミ・ドキュメンタリー・タッチで、時間軸が登場人物たちの行動により行きつ、戻りつする。それをナレーションで混乱しないように説明していくスタイル。
何よりも登場人物たちのキャラが際立っていて面白い。目立つのは、強欲な妻を持つ小心者の払戻し係を演じたエリシャ・クックjr。ハンフリー・ボガードの「マルタの鷹」(1941)や西部劇の名作「シェーン」(1953)などで、チビで小心者のくせにイキがってロクな眼に会わないという、いつも同じような役回りを演じている俳優。本作でも同じである。他には、狙撃のプロを演じたティモシー・ケリー。この二人に関しては、本作を扱う書評では誰も同じく褒めている。
なので個人的には、他に二人を挙げようと思う。ひとりは元レスラー。この男は劇中、やたらと名台詞を吐く。「芸術家とギャングは似ている。皆からチヤホヤされるが、頂点を極めると必ず引き摺り下ろされる」とか、いざ、競馬場に向かおうとすると、仲間にどこへ行くんだと尋かれ、こんな台詞で答える。「太陽の正体を見極めようとした羊飼いが、やがて見つめ過ぎて失明した。余計な詮索をしなければ良かったのに」
もうひとりは主人公が隠れ家に使うモーテルの親父。主人公が初めて訪れたときに紹介者の名前を口にすると、「どこで会った」と怪訝な顔をする。「つい最近。刑務所でだ。あんたによろしくとさ」と言うと、途端に相好を崩し、旧知の友のように接してきて、オマエさんも苦労してるんだろ、と宿泊料金などいらないと断る。世間から見れば負け犬だが、裏世界を知リ尽くし、義理には厚い。登場時間は少ないが印象的な役回りだ。
印象的といえば、動物の扱い方も見事。競走馬、オウム、そしてプードル犬。これまた登場そのものは少ないが、強い印象を残す。
このように隅々まで監督の気配りが利き、犯罪は割に合わないという時代性ゆえの正論調が際立って行く。特にラストのシーンは鳥肌が立つほど見事で、生涯印象に残るだろう。
敢えて時間軸を行ったり来たりさせ、同じ場面を何度も写しだし、登場人物たちの行動を際立たせて展開させていく手法は今見ても興味深い。
それを上映時間1時間25分という枠にきっちりと収める。昨今は2時間を越える長い映画が良いという風潮があるようにも感じるが、山椒は小粒でピリリと辛い、という映画の原点ともいえる作風に酔ってみるのも良いだろう。
それにしても当時28歳か。やはり、あんたは天才だ、キューブリック。