我が道を往く – GOING MY WAY(1943年)

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スタッフ

監督:レオ・マッケリー
製作:レオ・マッケリー
脚本:フランク・バトラー、フランク・キャヴェット
撮影:ライオネル・リンドン
音楽:ロバート・エメット・ドーラン

キャスト

オマリー / ビング・クロスビー
フィッツギボン / バリー・フィッツジェラルド
ジュヌヴィエーヴ / リーズ・スティーヴンス
オドード / フランク・マクヒュー
テッド / ジェームス・ブラウン
キャロル / ジーン・ヘザー
ヘインズ氏 / ジーン・ロックウッド
ベルクナップ / ポーター・ホール
ボザンニ / フォルトゥニオ・ボナノヴァ

日本公開: 1946年
製作国: アメリカ レオ・マッケリー・プロ作品
配給: パラマウント


あらすじとコメント

前回の「裸の町」で主役のヴェテラン刑事を渋く演じたバリー・フィッツジェラルド。そんな彼の演技者としての最高傑作にして映画史上に残る名品。

アメリカ、ニューヨーク。西49丁目にあるセント・ドミニク教会。ここで主任牧師を45年もしている老神父フィッツギボン(バリー・フィッツジェラルド)は、教会を五回も担保に入れ、返済が滞っていた。彼は昔気質の頑固なアイルランド人で、昨今は人々の信心も薄れたと嘆きながら、旧態依然とした教会運営しかしなかった。そこへ若いオマリー神父(ビング・クロスビー)が赴任してくる。オマリーは若さゆえか合理的で柔軟な発想をする男で、フィッツギボンはたちまち彼を嫌ってしまう。

しかし、オマリーは単なる今風な若い男に見えたが、決して、無理矢理な正論調の説法を説くタイプでなく、思慮深く思いやりがある若者だった。あるときは七面鳥を盗んだ若者を見て、警察に突きだすのではなく歌を教えることで他の少年たちをまとめるよう仕向けたり、18歳で家出してきた少女には黙って帰宅しろと戒めるでもなく、信用して見守るという態度を取った。それゆえ次第にオマリーに感化されていく人間がでてくる。

しかし、フィッツギボンは、正しい神の教えではないと頑なに認めようとせず、地区を統括する司祭に直訴し、彼を転勤させようとするが・・・

若き神父が織り成す正統派ヒューマニズム映画の秀作中の秀作。

人間はお互いが信じあえれば必ず理解し合えるという理想的といえばあまりにも理想的な作品ゆえ、中にはご都合主義で押し付けがましく、現実はこんな単純に上手く行くことは絶対にあり得ないし、似非ヒューマニズムの押し付けと忌み嫌う人もいよう。

そのぐらいストレートに作ってある。だが、素直に観れば、これほど素晴らしい映画もない。

革新的だが目立たない。それは若いが確固とした自分自身を持つからこそ、他人に寛大で一般的な常識で判断しないという主人公。それをどこか飄々としながら演じるビング・クロスビー。彼の持ち味が遺憾なく発揮されてお見事。

しかし、本作の白眉は頑固だが可愛い老神父を演じたバリー・フィッツジェラルドだ。彼なしに本作は成立しなかったと断言できる。

これほどチャーミングで可愛らしい老人を映画で観たのは、やはり名作中の名作「素晴らしき哉人生!」(1946)で2級天使を演じたヘンリー・トラヴァースの二人しかいない。個人差はあろうが、両作を見ているに人には頷いていただけると確信している。

そして、その両作共、クリスマスがヤマ場として登場する。ある意味、当時のアメリカ人の良心と信仰心が強く感じられる。

登場人物たちも皆、善人だ。不良少年や金の亡者なども登場するが、若き善意と慈愛に満ち溢れたヒーローに感化され、改心する。ひとりだけ、改心しないオバサンがでてくるが、それはよしとしよう。

物語もコメディ要素を上手く盛り込み、また、心揺さぶられる展開を見せていく。間違いなく完全なる予定調和だ。しかし、これこそ大団円というラストでは、何回見ても涙を禁じ得ない。

また、世界各地で多くの人間が死に続けていた第二次大戦真っ只中の時代に本作が作られた意味は大きいといえよう。その証左に本作は、アカデミー作品賞の他、主演、助演男優賞など9部門で受賞した。

確かに理想主義的な時代性や、あまりにも楽観的過ぎると鼻白む御仁もいるだろう。だが、この映画を見て、いまだに泣ける感性を持つ自分がいることを、キリスト教徒ではないが、神に感謝する。

個人的に断言する。本作は名作中の名作である。

余談雑談 2008年7月26日
この前、実家がタバコ屋だという話をここで書いたら、嫌煙家の方からご意見を頂戴した。 その方が言うには、個人的にはこれを機にいっそ、世の中かならタバコがなくなれば良いと。もしかしたら、家族か友人の方が喫煙者であったがゆえか、もしくは受動喫煙で