スタッフ
監督:ピエトロ・ジェルミ
脚本:アルフレード・ジャンネッティ、カルロ・ヴェルナリ
トゥーリオ・ビネット、ピエトロ・ジェルミ
撮影:エイアーチェ・ヴァロリン
音楽:カルロ・ルスツケッリ
キャスト
セルジオ / ウーゴ・トニャッツィ
マリーザ / ステファニア・サンドレッリ
ジュリア / レニー・ロンガリーニ
アデーレ / マリア・グラッシア・カルマッシ
ドン・ミケーレ / ジジ・バリスタ
カラサンティ / セルジオ・フィンカート
リカルド / マルコ・デッラ・ジョヴァンナ
フィリベルト / リカルド・ビッリ
カプート / イルデブランド・サンタフェ
日本公開: 1968年
製作国: イタリア R.P.A. デルフォス・プロ作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
前回はプレイボーイが恋の駆け引きを展開するコメディだった。今回もある意味、プレイボーイであるとぼけた中年男の悲しい性を見事に描く艶笑作。
イタリア、ローマ。とある病院の待合室で落ち着かなく行ったり来たりしている一人の中年男。彼の名はセルジオ(ウーゴ・トニャッツィ)。バイオリニストである。
まさに彼の子供が産まれようとしていた。母親はマリーザ(ステファニア・サンドレッリ)。しかし、彼女は妻ではない。彼には正妻ジュリア(レニー・ロンガリーニ)がいるが、彼女が二人の娘を連れて海へ避暑に行くのを見送りに行かなければならなかったのだ。しかたなく、一度駅へ向かうセルジオ。
「楽しんでおいで」と家族を見送った彼は、すぐに公衆電話に駆けつけた。しかし、電話した相手は別な女アデーレ(マリア・グラッシア・カルマッシ)。何と彼女にも彼の子供が二人いる。こちらは山へ避暑に行くので、後で落ち合おうと告げた。そう、彼は三人の女性を同時に、平等に愛していたのだ。
正妻の家では勉強のため、海の避暑に行かなかった息子がいるので、気を使って教会へ行った。
そこで、セルジオは顔見知りの牧師に自分の人生を語り始めた・・・
いかにものイタリア的艶笑コメディの佳作。
バイタリティ溢れるというか、身勝手というか、これぞイタリアの種馬と呼べる主人公。自分の欲望の趣くままに三つの家族を持つ男だ。
この設定だけだと、中には羨ましいと思う男性がいるかもしれない。しかし、そんな単純はハナシにしないのがピエトロ・ジェルミ監督の上手いところ。
このジェルミ監督はネオ・リアリズモ映画の出身で、市井の人間の機微を撮らせたら天下一品の御仁。自ら主演もこなし、暗い不倫ドラマから、人情劇、この手の艶笑喜劇までと幅広く活躍した監督。
本作の主人公は三つの家族を養うため、コンサートからキャバレーなど、時間のやり繰りがつく仕事すべてを受けている。しかも、三家族とも大事なので、全家族名義で生命保険に加入しているは、クリスマスには子供全員に同じプレゼントを用意するという男。兎に角、三家族すべての責任を自分で全うしようとしている。
いやはや、恐れ入る限りだ。ただ、彼の重荷を少し軽くしているのが、相手の女性たちへの対応。出産を間近に控えた相手には、もうひとりの愛人家族のことは告げてある。しか し、正妻のことは言ってない。逆に、もうひとりの愛人には正妻がいることは言ってあるが、出産間近の愛人のことは告げてない。そして正妻には、お前しかいないと言っている。
女性客は眉を顰めるだろ う。見事に優柔不断な男にして、責任感が強い男。
このキャラクターを演じるウーゴ・トニャツィがお見事。バイタリティ溢れる感じではなく、どこか品のない優男という風情。だが、やはりイタリア人特有のヤラしさとチャーミングさを併せ持ち、かつ、どこかとぼけた印象が強い。そして三人の女性たちがどれも違うタイプ。
見ていくにつれ、やっぱり羨ましいと思った。そうなれば、監督の思うツボ。途中から、主人公同様、こちらも息切れするような疲労感と、逆にこれが男の本能にして本懐と思わせつつ、何とかハッピー・エンドが待っていると思っていたら、トンデモないラストが待ち構えている。
男は単純。女はコワいと思わせる作劇。かといって、後味は悪くない。もしかしたら、これが、真のハッピー・エンドかもしれないとさえ思わせる。
残念ながら国内はおろか、製作国イタリアやアメリカでも、ビデオもDVDも発売されていない。残るはテレビ放映か。もし見る機会に恵まれたら、ひとりで鑑賞することをおススメする。特に男性には。
いつか自分にもこんなチャ ンスが訪れたらと思っていると、実際の人生で絶対にしっぺ返しを喰らうだろう。それが人生なのだ。
だが、だからこそ、面白い映画なのであるが。