このところ、日々実家に通い、『タバコ屋の看板オジサン』状態が続いている。
最近は常連の顔も多少は覚え、買う銘柄を黙って差しだすほどになった。また、一見客もかなり多いが、そのほとんどが「TASPO」カードの話をだす。中には、その話題で長く話し込んでいく人もいる。
そこでふと思った。人とのコミュニケーションが好きな人は、敢えてカードを作らず、タバコ屋の人間と話していくのかなと。「まったく役人根性で面倒なものを」とか、そこに会話の種があるからだろうか。もしかしたら、話をしたくても簡単には相手がいない。だから、例え、ひと言ふた言でも誰かと会話がしたいのだろうか。
逆に、たかだかタバコを買うのに、いちいち口に出して銘柄を言わなくちゃいけないのが面倒臭いと思った人は黙ってカードを作ったのだろうか。
「カードは持っているんですが、今日は忘れて来て」と何も悪くないのに謝罪めいた言い方をする若い人もいる。逆に、意地でも作らねェ、と啖呵を切りつつ、毎日来るご老人もいらっしゃる。
何だか大都会の片隅で、人のふれあいと孤独とを両方感じる日々である。