パコと魔法の絵本        平成20年(2008年)

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スタッフ

監督:中島哲也
製作:鈴木一巳、松本整、鈴木ゆたか 他
脚本:中島哲也、門間宣裕
撮影:阿藤正一、尾澤篤史
音楽:ガブリエル・ロベルト

キャスト

大貫(ガマ王子) / 役所広司
室町(ザリガニ魔人) / 妻夫木聡
パコ / アヤカ・ウィルソン
木之元(ガマ姫) / 國村準
浅野(タニシ) / 上川隆也
堀米(ヤゴ) / 阿部サダヲ
タマ子(メダカちゃん) / 土屋アンナ
雅美(沼エビの魔女) / 小池栄子
滝田(サカナ) / 劇団ひとり
浩一(アメンボ家来) / 加瀬亮

製作国: 日本 テレビ東京、博報堂他作品
配給: 東宝


あらすじとコメント

いつも古い作品の紹介ばかりなので、たまには新作を紹介しようと思う。全国で9月13日土曜から公開されるファンタジー作品。

ちょいとした昔、あるところにあった不思議な病院。

そこはヘンな人間たちばかりが集まっていた。ピーターパンなどのコスプレが趣味の医師浅野(上川隆也)、金の亡者の政美や元不良のタマ子(土屋アンナ)の看護士など病院側から、元天才子役俳優で今は行詰っている室町(妻夫木聡)、オカマの木之元(國村準)、ヤクザ、元消防士など患者も変わり者ばかり。

その中でも、ひと際、異彩を放っていたのが一代で財を成した大金持ち大貫(役所広司)だ。大貫は人嫌いで排他的で尊大な老人だった。誰もが彼を嫌っていたが、ある日、患者のひとりである少女パコ(アヤカ・ウィルソン)が『ガマ王子とザリガニ魔人』という絵本を持って大貫に近付いてきた。「一緒に読もうよ」大の人間嫌いの大貫は少女といえども容赦なく怒鳴り散らす。それでも笑顔を絶やさないパコ。翌日も、また同じ絵本を持って大貫に近付いてきた。遂にキレた大貫はパコを引っ叩いてしまう。

しかし、このパコという少女は一晩寝ると前日までの記憶を失う病気だったのだ・・・

全編CGで描くメルヘンチックなファンタジー。

オリジナルは後藤ひろひとの舞台劇で「クリスマス・キャロル」にインスパイアされた作品。それを『CG命』とも呼べる中島哲也が映像化した。

監督は元々日本を代表するCMディレクターで、映画としては本作が6本目になる。当初は、オムニバス映画の中の一本や、いかにも単館系の地味目な作品を撮ってきた。ところが、メジャー・デビューとなった「下妻物語」(2004)からは、テレビ・ドラマなど、CGを多用した作品ばかりにシフトしている。しかも、どちらかというと暗い題材を明るくポップに描くという手法が大好きで、狂信的なファンがいる監督である。

ただし、好き嫌いはハッキリと分かれる作家でもある。今回も敢えて、いかにも舞台劇のように、しかもアングラ芝居的な、目を見開き、大袈裟さに表現するというスタイルの演技を役者たちにさせ、これでもかというほど嫌われ者の主人公である役所広司のキャラクターを際立たせていく。そして、それを御伽噺として描くため、フルセットでCGのオンパレードで繋いでいく展開。

確かにセットや絵本などの小道具からワン・シーン、ワン・カットごとに監督がこだわり抜いた画面構成が連続する。それを実験的芸術性と呼ぶか、やり過ぎと感じるかは観客次第である。

自分としては中盤まで連続する作為性に満ちたアングラ的チープなワンダー・ワールドに食傷気味になり、席を辞そうかと思った。

しかし、少女パコの登場によって、ガラリとストーリィが変調する。解りやすいお涙頂戴的展開を見せるのだ。ただし、そこは考えに考え抜いた挙句、絶対に普通のことをしない監督である。同じテンションで、一定のリズム感を伴って繋いでいこうとする。

だが、今回は完全に変調したと感じた。それは、いかにもというBGMの使い方だったり、アップの多用による編集のリズム感で顕著となる。

自分としては、その今までとは違う、『変調』に好感を持った。中島監督が何かひとつ、剥けたというか、抜けたという感じがしたのだ。「下妻物語」、「嫌われ松子の一生」(2006)と今までは、映像で見せる作家性に重点を置いて、監督が何を考え、何を訴えたい、もしくは意図したいのかという観客の推察を拒否するようにポップでキッチュな目まぐるしい連続絵巻で押し通すのが常道だった。

つまり、監督としての主義主張が映像表現以外でないのではないかと思わせるほどの人間としてシャイな印象を受けていた。それが、今回少しだが、やっと自分性をだしたと感じた。

出演者たちはハマっている者と完全なるミス・キャストに分かれる。「下妻物語」以来の常連である土屋アンナなど、完全に監督を信用しきっていて役を楽しんでいるし、オーディションで選ばれたパコ役のアヤカ・ウィルソンも可愛い。

また、天下の役所広司や、人気者の妻夫木聡に本人とわからないようなメークをさせ、演じさせることができるのは監督の力量であろう。

つくづく、映画とは監督のものであると痛感させられた。

だが、あくまでも、個人的には北野武監督のような気負った作家性でなく、力の抜けた職人性をだしたら、大化けするかもしれないとも思っている。

余談雑談 2008年9月11日
今回の都々逸は、誠に申し訳ないが極私的『楽屋落ち』である。 「七つ八つより いろはを覚え はの字忘れて いろばかり」 『いろは』とは現代で言う『あいうえお』である。つまり、小さいころ基礎から勉強したが、今となっては『色』まみれ。この場合の『