スタッフ
監督: ジョン・フリン
製作: カーター・デ・ヘイヴン
脚本: リチャード・スターク
撮影: ブルース・サーティス
音楽: ジェリー・フィールディング
キャスト
マクリン / ロバート・デュヴァル
ベット / カレン・ブラック
コーディ / ジョー・ドン・ベイカー
メイラー / ロバート・ライアン
メナー / ティモシー・ケリー
シャミー / リチャード・ジャッケル
ミセス・バック / シェリー・ノース
バック / ビル・マッキニー
カール / エリシャ・クック Jr.
日本公開: 1974年
製作国: アメリカ C・デ・へイヴン・プロ作品
配給: MGM
あらすじとコメント
前回の「アラバマ物語」がデヴューだったロバート・デュヴァル。その彼が堂々、主役を張ったB級映画の渋い佳作。
アメリカのある刑務所。バーの違法経営で2年半の刑期を終え、マクリン(ロバート・デュヴァル)が出所してきた。迎えたのは愛人のベット(カレン・ブラック)。彼らはモーテルへ向かった。しかし、彼女の様子がおかしいと感じたマクリンは、咄嗟に身を隠した。直後、殺し屋が突入してきたが、瞬時に叩きのめし銃を奪うと、どういうことかと詰問した。
彼は数年前に兄と組んでウィチタの銀行に押し入り、まんまと大金を手にしていた。だが、その銀行がマフィアのものだったのだ。組織は犯人を探しだし、兄を殺すとマクリンをも殺しに来たのだった。事実を知った彼は、殺しを依頼した人間とボスの名前を聞きだした。
早速、ボスの手下で殺害依頼主の部屋に押し入り、その場にあった現金を強奪。自らを名乗り、兄の慰謝料として25万ドル支払え。さもなくば、組織の資金源を一ヶ所づつ襲うとボスのメイラー(ロバート・ライアン)に伝えろと告げた。そしてマクリンは、かつての仲間コーディ(ジョー・ドン・ベイカー)を訪ねる。
一方、メイラーはそんなチンピラひとり片付けるなど簡単だ、と部下に命令するが・・・
これぞB級映画というティストが溢れる哀愁漂う逸品。
自ら銀行を襲うような男が、兄を殺され、犯罪者として、否や、男としてのプライドを賭けて組織に挑む。
登場人物はほとんど全てが犯罪者だ。彼らに絡む女性も普通の感じではない。独特な世界と価値観で生きている人間たち。
そういった連中が、ごく普通に一般社会の中にいる。不思議な感覚に陥りながらも、彼らの独特の美学に惹かれ、見ていくにつれ男として、素直に彼らに感情移入して行った。
主人公は禿げ頭で背も高くなく、決して二枚目ではない。しかし、格好良いのだ。ひとつひとつの動作は機敏ではないのだが、人生に裏打ちされた妙味がある。そして、中年の哀愁と達観した感覚が漂う。相棒は体がデカく、いかにもタフガイという風情。しかも口数が少ない。そこに、決して幸福ではなかったであろうと感じさせる、どこかうらぶれた女が絡む。
そいった、どこか負け犬だが、自分という価値観を持って生きる人間たちを圧倒的なリアル感で体現するロバート・デュヴァルら主役三人の演技にシビれた。
その他にも、当時のB級映画ファンなら堪らない助演陣が多く登場するのも嬉しい。本作が遺作となったロバート・ライアン。「現金に体を張れ」(1956)のティモシー・ケリーやエリシャ・クックJr。更にはリチャード・ジャッケルまで。B級ファンとして、泣きそうになったほど。
そういった味わい深い連中が、いかにもの役を演じる妙味。
主人公たちは組織の賭場や闇銀行を襲うので、いつもしがないモーテル暮らしだ。たまに都会のシーンがでてくるが、ほとんどは田舎の寂れた風景ばかりの中で展開する枯れた味わい。
そういった背景のひとつひとつが、こちらの心に秋風を吹かせ、虚無感と排他感を増幅させる。そして常に死と隣合せという絶望感が支配していく。
内容はかなり端折っているので、辻褄が合わないとか、ご都合主義だと感じる人もいるだろう。それはそれで良い。個人的には、主人公の性格設定や行動パターンに美学を感じ、彼らと一緒に旅をしている感覚に酔えた。
ただ、ひとつ解せないのは、本作のようないかにもの小品を、何故、当時一番の大画面であったシネラマで上映したのかということ。
こういった作品は東京で言えば、浅草か神田や新橋のガード下の場末感溢れる汚く小さな劇場こそマッチすると思うのだが。実際、便所のアンモニア臭がする場末の映画館で見たときには、感無量になった。
裏寂れた男たちの美学に酔える作品にして、これぞB級映画と呼べる、ガツンと脳天に響く逸品である。