スタッフ
監督: サム・ペキンパー
製作: ジョー・ワイザン
脚本: ジェブ・ローズブルック
撮影: ルシアン・バラード
音楽: ジェリー・フィールディング
キャスト
JR / スティーヴ・マックィーン
エース / ロバート・プレストン
エルヴィラ / アイダ・ルピノ
バック / ベン・ジョンソン
カーリー / ジョー・ドン・ベイカー
シャーメイン / バーバラ・リー
ルース / メリー・マーフィー
レッド / ビル・マッキニー
デル / ダブ・テイラー
日本公開: 1972年
製作国: アメリカ ABC・ピクチャーズ作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
前回の「組織」で、朴訥としながらも頼れるタフガイとして主人公の相棒を演じたジョー・ドン・ベイカー。そんな彼が渋い脇役を演じた哀愁溢れる作品。
アメリカ、アリゾナ。ロデオ大会を追って転戦しているカウボーイJR(スティーヴ・マックィーン)は、とある大会で最高の暴れ牛の異名を取る『サンシャイン号』を乗りこなすことに失敗した。自分の寄る年波と、先行きの不透明さを痛感しながら、次の大会へ向かうJR。そこは自分の生まれ故郷プレスコットだった。
先ず、町外れにある父親エース(ロバート・プレストン)の住居を訪ねるが父の姿はなかった。しかも父の土地を開墾している業者がいた。何が起きたかと尋きに行こうとすると眼前で父の家がブルドーザーで壊されてしまう。何が起きたか理解できないまま、町に住む母のエルヴィラ(アイダ・ルピノ)に会いにいく。母は、父親は事故で入院中で、土地は長男(ジョー・ドン・ベイカー)に銀山探しの借金のため売ったのだと言う。俄かには信じられないJRだった。
父親はかつてのロデオ大会のチャンピオンだったが、引退後は一攫千金を夢見て、ことごとく失敗していたのだ。その反動か、兄は商売に走り、土地開発で目覚しい発展を遂げ、金持ちになっていた。父を見舞うと、オーストラリアに金鉱を探しに行くと言い、今度は絶対確実だと笑った。JRは、そんな父にロデオ大会に一緒に参加しないかと持ちかける。微笑む父親。
JRはその足で大会を取り仕切るカーリー(ベン・ジョンソン)の元を訪れる。JRの行く末を懸念していたカーリーは、引退して、一緒に大会を仕切るパートナーになって欲しいと告げる。だが、JRは答えた。
今度もサンシャイン号に挑戦させて欲しい、と・・・
滅び行く西部への郷愁を込めた静かなる逸品。
監督はヴァイオレンス的映像表現で人気絶大だったサム・ペキンパー。スロー・モーションやストップ・モーションといった映像テクニックを駆使して、男たちの生き様と死に様をスクリーンに焼付けるのを得意とした監督だ。
彼自身、西部を愛し続けた男である。しかし、本作製作当時はアメリカン・ニュー・シネマや復活したハリウッド製のスタジオ主義的娯楽大作に押され、西部劇はまったく人気がなくなっていた。
本作は敢えて、そんな時流に反抗し作り上げた作品で、設定こそ現代であるが、完全に西部劇へのオマージュと位置付けできよう。
主役はカウボーイである。しかし、開拓時代と違って、銃を持ち明日をも知れず、さすらうガンマンは存在しない。そこで、ロデオ大会を転戦していくという設定にしたのだろう。
仲間たちは女性を連れ、楽しく酒を飲みながら移動するが、主人公はたった一人、馬用カーゴを車で曳きながら移動する。賞金がなければ、モーテルにも泊まれず、野宿をする。かつては父親同様にチャンピオンとして名声を博したが、今では落ち目だ。それでも、自分はカウボーイとして生き続けたいと願っている。
そんな彼が尊敬する父親は、今では家族のお荷物扱いだ。それでも、身勝手な夢を棄てない子供のようである。母親や兄も、早く浮草稼業から足を洗って、地に足をつけた生活をしろと言う。アウトローは父親ひとりで沢山だと。
拝金主義になった兄とその家族や、どうしようもない亭主にあきれている母親。そこに現代社会に融合して上手く生きていこうとするアメリカ人像が見える。しかし、主人公は自分なりの生き様を通したいとも思い、そこに父親の血の流れを濃く感じている。
監督からすれば、主人公こそフロンティア・スピリットを持ち続ける真のアメリカ人であると。しかし、声高に主張はしない。そして、一度は負けた牛相手にカウボーイとしての意地とプライドを賭けて再挑戦する。
しかも、勝利とは、牛に片手でロープを持ったまま、8秒乗り続けることなのだ。たった8秒である。
それに全てを賭ける。単純に言ってしまえば、それだけの映画である。そんな映画を派手なヴァイオレンス的アクションを得意とした監督が、主人公同様、声高な演出は一切せず、静かなるかつての西部劇への郷愁と、昔気質の男たちへの挽歌として謳い上げた。
たった一回だけ、往年の西部劇を彷彿とさせるシーンがでてくる。それは酒場での派手な乱闘場面だ。このシーンは秀逸である。普通だったら、店を壊されるので慌てふためくという設定の酒場の親父が嬉々として懐かしそうに眼を細める。で、主人公や父親はどうするのか。それは見てのお楽しみである。そこにペキンパー監督の反骨的男気を感じた。
監督同様、やはりアクション系の俳優と思われていたスティーヴ・マックィーンが不器用で純朴な男を見事に演じ切っている。彼自身もアクションがメインの西部劇の出演が多い。そういったコンビが、滅び行く気高い男たちの生き様を静かに描く。
ラストで見せる監督得意技のストップ・モーションによる登場人物たちひとりひとりをクローズ・アップさせる場面も見事。そして、ラストのラストで主人公が見せる顔に、同じ男として涙が溢れた。
これぞアメリカ映画。これぞ西部の男という挽歌に胸が締め付けられる秀作。