スタッフ
監督: フランコ・プロスペリ
製作: ダン・レザー
脚本: フランコ・プロスペリ
撮影: エリック・メンツァー
音楽: ロビー・ボイティヴァン
キャスト
ハリス / ロバート・ウェッバー
ロベーロ / フランコ・ネロ
メリー / ジャンヌ・バレリー
セッキ / ホセ・ルイス・ド・ビラロンガ
フェリ / ジョン・ホークウッド
ベリー / ミッシェル・ヴァルディーレ
ガステル / セック・リンダー
ルーシー / テオドラ・ベルゲリー
フランク / アール・ハモンド
日本公開: 1966年
製作国: イタリア チネガイ作品
配給: 松竹映配
あらすじとコメント
孤独で哀愁漂うプロの中年男の生き様。前回は『逃がし屋』だった。今回はズバリ「殺し屋」だ。
アメリカ、ニュー・ヨーク。ヴェテラン凄腕スナイパーのハリス(ロバート・ウェッバー)は、依頼を受け、とあるビルの屋上に向かった。標的は900メートル先に警察の護衛付きで姿を現す男だ。彼は、静かに準備をするとターゲットを待った。時刻通りに、ビルからでて来た相手に3発の銃弾を放った。仕事は完了した。
彼は残金を受け取りに組織のボスの所へ行く。これが最後の仕事で、後は農場を買って、静かに余生を送ろうと思っていたのだ。しかし、ボスは、最後にもう一件だけ仕事を請けてくれと言ってきた。相手は同じ組織のセッキという男。彼はFBIに逮捕され、組織の情報を売って釈放されたというのだ。暫く考えると告げ、ボスの元を離れると、見知らぬ男が付けてきた。尾行を撒くと、コーヒーショップを経営する兄に電話を入れ、注意して車を持ってくるように頼んだ。
しかし、兄が車でやって来ると見知らぬ車が猛スピードで近付いてきて銃を乱射。兄はハリスの腕の中で、息絶えてしまう。セッキの手下が先手を打ってきたようだ。
彼は20万ドルで仕事を請けるとボスに告げると、セッキは整形し、パリのどこかに潜んでいるとの情報を得る。しかし、ボスは寄る年波のハリスを心配し、若いロベーロ(フランコ・ネロ)を助手に付けることを指示。
渋々合意したハリスは、ロベーロと少ない情報を持ってパリに向かうが・・・
孤高の殺し屋の挽歌を謳い上げる静かなる一品。
感情を押し殺し、プロとして人を殺し続けてきた男。兄はマフィアにいる弟を心配し、兄嫁は主人公を忌み嫌っている。もう若くない自分の先行きを考え、足を洗って田舎に引き篭もろうと考えている。そんな中年男が主人公だ。
冒頭、クレー射撃場で見事な腕前を観客に見せ付けてから、仕事へ向かう。
その狙撃シーンは絶品だ。身軽なコート姿で静かにビルへ入り、屋上でコートを脱ぐと両肩に背負ったホルスターから部品を外し、静かに組み立てる。見事なる静けさの中に、組み上げられる銃の金属音と、弾丸を装填する鈍い音が流れる。汗で滑らないように皮手袋をはめ、片目にはアイ・パッチをする。
そして、新聞紙を一枚落とす。ゆっくりと風に舞う新聞紙を見て、微妙な風向きを計算するのだ。
いやはやシビれた。このシーンに刺激を受け、日本では鈴木清順監督が、シーンをそのまま踏襲した作品や、加山雄三主演の「狙撃」(1968)といった映画から、漫画では、さいとうたかをの「ゴルゴ13」などに色濃く影響を与え、更には、本作とまったく関係がないのに、タイトルに「殺しの~」と付く邦題が多く生まれた。それほど影響を与えた作品なのである。
何よりも人生の盛りを過ぎた主役を演じるロバート・ウェッバーが堪らなく格好イイ。「十二人の怒れる男」(1956)など、出演作は多いものの、常に目立たない脇役の人生を送ってきた彼の最高作と呼べよう。
映画自体も、枯れたプロの美学を意識させながら、独特なトーンで進行する。その見慣れない雰囲気は、ハリウッドの匂いもしないし、フランス的フィルム・ノワールでもない。舞台はニュー・ヨーク、パリと展開するのだが、どの街並みも通常の映画とは異質に感じる作り。
何故なら本作は完全なるイタリア映画だからだ。ゆえに色調を含め、俳優陣やセットなどすべてが不思議なトーンに覆われている。
日本で公開されたときは、監督もフランク・シャノンという聞き慣れぬ名前で、もしかしてTV出身の新進かと思われたようだ。
イタリア資本でアメリカ人のB級や盛りの過ぎたヴェテラン俳優を使い、さもアメリカ映画のようにして売り込む。この流れは、日本ではマカロニ・ウェスタンがイタリア製のベツモノであると認知されるまで続いた。
アメリカに憧れて、アメリカ映画のように撮る。しかし、独特の雰囲気があるので見る側は違和感を覚える。だから、好き嫌いは分かれる。ところが、本作は、そんな不可思議なムードが逆に見事にハマった映画であると感じている。
本作はDVDが発売されているが、完全なるオリジナル・イタリア版で、原題も監督名も、そして台詞までイタリア語である。しかし、だからこそ、妙なトーンが一致するのだ。
間違いなくB級作品だが、アメリカともフランスとも違う一種独特の香りを嗅ぐのも一興かもしれない。