スタッフ
監督: ジャン・ピエール・メルヴィル
製作: ジョルジュ・カサディ
脚本: ジャン・ピエール・メルヴィル
撮影: アンリ・ドカエ
音楽: フランソワ・ド・ルーベ
キャスト
コステロ / アラン・ドロン
ジャーヌ / ナタリー・ドロン
ヴァレリー / カティ・ロジェ
主任警部 / フランソワ・ペリエ
金髪の殺し屋 / ジャック・ルロワ
ピエネル / ミッシェル・ボワロン
レイ / ジャン・ピエール・ポージェ
クローク係 / カトリーヌ・ジュールダン
日本公開: 1968年
製作国: 仏 フィメル・ウジェーヌ・レピシェ作品
配給: 日本ヘラルド映画
あらすじとコメント
今回も孤独なプロの殺し屋。しかも、クールさにおいては群を抜いている静かなる秀作。
フランス、パリ。4月4日土曜日の午後6時。コステロ(アラン・ドロン)は、小鳥のシジュウカラが切なく鳴く、殺風景な自分の部屋をでた。外は小雨だった。
彼は駐車していたシトロエンに乗り込み、合鍵を使って盗むと、知り合いの修理工場へ持ち込んだ。そこの親父は、黙ってナンバー・プレートを替え、偽造証明書と拳銃を渡してきた。
そして彼は情婦のジャーヌ(ナタリー・ドロン)の部屋へ行きアリバイを頼むと、とあるナイト・クラブへ向かった。
ざわついた店内を抜け、店の裏へ行きオーナーの部屋のドアを開ける。「誰だ、お前は」そう言ったオーナーを射殺するコステロ。彼はプロとして依頼された仕事を一部の隙もなくこなした。
だが、彼が部屋をでたところで、ピアノ弾きの黒人女性ヴァレリー(カティ・ロジェ)に見られてしまって・・・
クールでキザでスタイリッシュなフィルム・ノワールの秀作。
殺風景で寂れた部屋に住む男。小鳥とミネラル・ウォーターが数十本ある他、小さく薄汚れた鍋が三つほど壁にかかっているが、使用した形跡はない。ただ、それだけの部屋。
余分なものを一切排したシンプルさに男の生き様と映画の展開のすべてが凝縮されている。はっきりいって、筋運びには何の新鮮味もケレン味もない。こだわっているのは、細かいデティールだ。
男が仕事に使う車はシトロエンと決め、盗むときは大きな鍵束を持っていく。その束から順番に、ひとつずつ鍵をイグニッション・スイッチに入れていく。身を屈めて配線をいじったり、都合良く合鍵のみがあるわけでもない。その細やかなシーン。
そして盗んだ車を知り合いのガレージに持ち込み、ナンバー・プレートを替える。その描写も細かい。
更に警察にマークされたことに気付き、地下鉄で尾行をまこうとする場面での細やかな展開。
そういった彼がプロとして、仕事に忠実であるという、どこか不器用さを伴った設定。しかも、着る服にも異様にこだわりがある。少し時代遅れのソフト帽とトレンチ・コート。彼なりの決め事があるのか、仕事のとき、女に会いに行くときと色合いや種類を替える。
見ているこちらも、その出で立ちで彼の心情の変化を理解する。そういった細かいデティールをグレイに統一した画面で見せていく。
だからこそ、こちら同様、情婦などの女性たちが主人公の不思議な魅力にはまっていく心情を理解する。
そんな主人公を天下の二枚目のドロンが、クールに、そしてキザに決める。女性ならずともシビレる。
ここで取り上げるに当たり、見直したが、プロとしての細かい描写を見ながら、ふと蘇った作品がある。
それは、以前、ここでも扱ったロバート・デ・ニーロの主演した「RONIN」(1998)である。確かに「サムライ」と「RONIN」。どちらも日本の武士の設定だ。
しかも、調べてみると、何と本作の原作のタイトルは「サムライ」でなく「ローニン」。しかし、デ・ニーロ作品の原作ではない。
舞台はパリ。集団と個人という差はあるが、プロが冷静に仕事を遂行する。その上、主人公が直接の仕事の依頼者を知らないという共通項もある。そして、プロゆえの細かい描写設定も同じ。それを知って両作を見比べると面白いだろう。
また、本作での音楽の使い方も見事だ。パリの裏町に似合う、どこか淋しげなバンドネオンの音色と対比して使用されるクールなモダン・ジャズ。そのすべてが主人公の孤独と生き様を際立たせる。
作劇の妙は、今見ても色褪せていない。孤独な男、そして、そこに匂い立つカッコ良さ。決して真似は出来ないが、男として憧れる逸品だ。