スタッフ
監督: アナトール・リトヴァク
製作: サム・スピーゲル
脚本: ジョセフ・ラッセル、ポール・ディーン
撮影: アンリ・ドカエ
音楽: モーリス・ジャール
キャスト
タンツ将軍 / ピーター・オトゥール
グラウ少佐 / オマー・シャリフ
ハルトマン伍長 / トム・コートネイ
カーレンベルゲ将軍 / ドナルド・プレゼンス
ウルリケ / ジョアンナ・プティ
モラン警部 / フィリップ・ノワレ
カープラー将軍 / チャールス・グレイ
ロンメル元帥 / クリストファー・プラマー
エンゲル大尉 / ゴードン・ジャクソン
日本公開: 1967年
製作国: アメリカ ホリゾン・プロ作品
配給: コロンビア
あらすじとコメント
ピーター・オトゥール主演にして、前回の「パワープレイ」で一緒だったドナルド・プレゼンス、更には前々回の「マーフィの戦い」のフィリップ・ノワレが共演した戦争モノ。ただし、今回も異色。
1942年ポーランド。ドイツ軍占領下のワルシャワのとあるアパートで娼婦が殺害された。しかも手口は残忍で、性器を中心に100ヵ所以上の刺し傷があった。地元警察はドイツ軍に通報。現場にやって来たのは情報部のグラウ少佐(オマー・シャリフ)だった。何故、娼婦殺しにドイツ軍が呼ばれたのかと訝る少佐に、目撃者が恐る恐る証言する。共同トイレの小さな隙間から犯人を見た、と。顔こそ見えなかったが、それはドイツの将軍の軍服だったのだ。
容疑者は三人。カープラー将軍と司令部主任カーレンベルゲ将軍(ドナルド・プレゼンス)、そして最年少にしてヒトラーの寵愛を受けるダンツ将軍(ピーター・オトゥール)だった。しかし、誰も少佐の調査に協力するはずもない。まして、その中に犯人がいる可能性が高いのだ。それでも、捜査を続けるグラウ。当然、将軍たちの逆鱗に触れ、パリへ転属させられてしまう。
時は流れ、1944年の夏のパリ。連合軍がノルマンディーに上陸し、態勢を立て直すべくヒトラーの命により、ダンツが赴任してくる。しかし、パリには既にカープラーとカーレンベルゲも着任していた。ワルシャワと同じ三人が再び揃ったのだ。
そして、それを一番喜んだのはグラウだった・・・
戦時下で精神的に異常になっていく人間たちの闇を描くサスペンス。
タイトルからも解るように、主役たちは将校や将軍といった高級武官たち。いわば中枢である。しかも敵と対峙する最前線ではなく、どちらかというと後方の人間たち。そこに上流志向の強い将軍の妻や、逆に、そんな母親に反抗する娘などが絡んでくる。
ストーリィとしては42年のワルシャワ、44年のパリの他に、65年のヘルシンキという3部構成で、いささか複雑な展開を見せていく。
あくまでも主役は唯一戦場での経験があり、閑職に追いやられたとふてくされるオトゥールなのだが、娼婦の殺人事件解決に異様な執念を燃やすシャリフや、パリで主人公の運転手になる下士官のトム・コートネイなどにも中途半端に力点を置くので主題が緩慢になってしまい、どうにも半端な印象を受けた。
要は戦争では、戦場の他でも誰もが精神的に追いつめられるということを描きたかったのだろう。そして、それらのすべてが集約され解決するのが戦後という設定。ゆえに2 時間半近い長尺になっている。
長いことは長いが、あきずに見せていくリトヴァク監督の力量は認める。しかし、主人公の潔癖症にして神経質というキャラクターを際立たせるためのシーンに時間を取り過ぎ、体制の上層部に楯突くシャリフをサポートするフィリップ・ノワレ扮するパリの刑事との関係性や、運転手と恋に落ちる恋人との設定など、端折り過ぎの部分が目立ち、バランスが悪いのも事実。
ただ、個人的に本作を好意的に見たのは助演陣たちにご贔屓が多く出演しているから。
「大脱走」(1963)にでていたドナルド・プレゼンス、そして大好きなゴードン・ジャクソンに、ナイジェル・ストックと三人が再共演を果たし、更には「SOSタイタニック 忘れえぬ夜」(1958)で、船の設計技師役を好演したが、今では誰も知らないであろうマイケル・グッドリフ。他にも、ご贔屓戦争映画の1本「恐怖の砂」(1958)に出演したハリー・アンドリュースや、ゲスト出演的な「サウンド・オブ・ミュージック」(1965)のクリストファー・プラマー、歌手のジュリエット・グレコまでが出演し、色を添えている。
恐らくは苦手だと感じる人の方が多いと思われるが、製作されたのは米ソの冷戦下時代。市井の人間には関係なく、首脳がボタンを押せば世界は終焉する時代。
そんな人の上に立つ人間たちの脆さを強調させる、スケール感ある反戦映画として製作された作品だと位置づけられよう。