スタッフ
監督: バート・I・ゴードン
製作: バート・I・ゴードン
脚本: バート・I・ゴードン
撮影: バート・I・ゴードン
音楽: マイケル・メンション
キャスト
ミネリ警部 / ヴィンセント・エドワーズ
ドーン / チャック・コナーズ
フロマリイ / ネヴィル・ブランド
ブレイク刑事 / ハンク・ブラント
マーサ / フェイス・クアビュス
フロマリイ夫人 / アイロナ・ウィルソン
フォレスター部長 / テッド・ゲニング
アン / ナンシー・ホンノルド
レイプ被害者 / クリスティーナ・ハート
日本公開: 1974年
製作国: アメリカ B・I・ゴードン・プロ作品
配給: 日本ヘラルド映画
あらすじとコメント
前回の「ジャガーノート」に登場した個性的な爆弾魔から繋がった作品。いかにものB級映画だが、妙に印象に残る作品。
アメリカ、ロサンゼルス。1メートル90センチはあろう大男ドーン(チャック・コナーズ)。そんな彼は変わった銀縁のメガネに、まったく時代にそぐわない4つボタンのスーツを着て紙袋を手に提げ、街を歩いていた。
そのドーンの前を歩く男が、空き箱を道に捨てたのを見ると彼を呼び止めた。「拾え!」いきなり何を言うんだと怪訝そうに振り向いた男に再度、拾えと言った。それでも、関係ないと立ち去ろうとする男の胸ぐらを掴み、貴様のような奴はクズだ、と凄い形相で言い放った。慌ててゴミを拾うと立ち去る男。
今度は前を歩きながら妊娠の話をする女子大生たちの後をつけ、そのまま大学まで入って行った。すぐ直後、彼がひとりで校舎から出てくると、構内で大爆発が起きる。
彼こそ、娘がドラッグ中毒で死んでから精神に異常をきたし、社会に制裁を加えようとするマッド・ボンバーだった。続いて彼は娘が死んだ病院を爆破する。しかし、偶然、女性患者をレイプしようと忍び込んでいたフロマリイ(ネヴィル・ブランド)に見られてしまう。
一方、警察ではミネリ警部(ヴィンセント・エドワーズ)が連続爆弾魔を担当していたが、一向に埒が明かず捜査に行き詰っていて・・・
異常な人間たちが織り成す狂気を描くドラマ。
娘が麻薬中毒で死んだのは社会が腐敗しているからだと思い込んだ男がこの世の悪を爆破させることによって制裁しようする。
完全におかしい思考ではある。しかし、平気でゴミを捨てた男や、高級スポーツカーに乗っている優越感から歩行者より自分が優先だと考える人間、客のことを見ずに、いかにも事務的にオーダーを取ろうとするウェイトレスに、ことごとく怒りをぶつけていくのは、『知らぬ顔をするのが大人』や『自分優先が当然』という風潮に対するストレートなアンチテーゼだ。
アイディア勝利な要素がある作品なのだが、どうにもB級というより、むしろC級のティストが漂うのは監督の感覚ゆえだろう。
その監督バート・I・ゴードンは、自身で製作、脚本を兼務し、娘が出演、妻が特殊効果を担当するという、ある意味、ホーム・ムーヴィー的作品を輩出してきた人間である。「戦慄!プルトニウム人間」(1957、未)、「巨人獣」(1958)、「吸血原子蜘蛛」(1958)といった、怪奇恐怖映画専門の一部熱狂的なマニアがいるカルト作家。
アイディア自体は良いのだが、予算がないので、かなり端折ったり、強烈なるこじつけ的な展開をみせるのが得意な作家でもある。だから、本作も突っ込みどころ満載作として仕上がっている。
冒頭の大学での爆破シーンなどは迫力もあるが、予算がなかったのか、どんどんスケール・ダウンしていく。
例えば、捜査途上、別なダイナマイト騒動が二回描かれるが、何と不思議なことに、現場には警部が単身乗り込んで解決するという荒業で展開される。
警察内部の描写もおかしい。全員が私服で制服警官がひとりもでてこない。普通のオフィスで隠し撮りでもしたのかと見間違うほど。
苦笑しながら見ていくと、目撃者であるレイプ犯を逮捕するために婦人警官に囮捜査をさせる場面では、いきなりパトカーや制服警官が登場。その繋がりの無さに却って感動してしまった。
人権の主張を繰り返すレイプ犯や異様な執念で爆弾魔を追う警部など、設定には面白さを感じるのだが、観客に想像を促すようなシーンや前後の繋がりを意識した演技指導など一切なく、B級ではあるが、一応の俳優たちに任せている印象。
すべてが、ぶつ切り、ごった煮状態。しかも一切、コメディ色もなく進行するので、かなり違和感を覚える人もいるだろう。
個人的思い入れを低予算で作る。しかも、その思い入れは相当なものであり、間違いなく本人は『面白い』と確信している。ゆえにカルトとして認知されるのだ。
好き嫌いは人それぞれである。真面目に見て嫌悪感を抱くか、斜に構えて楽しむか。どちらも映画を楽しむ方法である。