グランド・ホテル – GRAND HOTEL(1932年)

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スタッフ

監督: エドマンド・グールディング
製作: ポール・ベム
脚本: ウィリアム・A・ドレイク、ヴィッキー・バウム
撮影: ウィリアム・ダニエルス
音楽: チャールス・マックスウェル

キャスト

グルシンスカヤ / グレタ・ガルボ
フォン・ガイゲルン男爵 / ジョン・バリモア
フレムシェン / ジョーン・クロフォード
ブレイジング / ウォーレス・ベアリィ
クリンゲライン / ライオネル・バリモア
オッテムシュラーグ医師 / ルイス・ストーン
センフ / ジーン・ハーシェルト
マイアーハイム / ロバート・マックワード
ジノヴィッツ / パーメル・プラット

日本公開: 1933年
製作国: アメリカ MGM作品
配給: MGM


あらすじとコメント

パニック映画などで、よく使われる『グランド・ホテル形式』という言葉。一体どういう意味か。その元となった歴史的作品。

ドイツ、ベルリン。由緒正しきグランド・ホテル。連日、様々な人間が行き交っている場所である。

その中に、バレエのプリマドンナ、グルシンスカヤ(グレタ・ガルボ)がいた。だが、彼女は盛りを過ぎ、かつて自分が輝いていた帝政ロシア時代の思い出に浸る日々だった。一方で、男爵の称号を持ちながら、博打で身を持ち崩し、借金まみれになっていたフォン・ガイゲルン(ジョン・バリモア)は、借金返済のため、グルシンスカヤの宝石を狙っていた。

他にも、経済界の大物だが、実は会社の業績悪化のため、条件の良い合併話を進めていたが暗礁に乗り上げてしまったブレイジング(ウォレス・ベアリィ)は、打開作を探していた。。そんな彼の現状など露知らず、速記係として雇用してもらおうとキャリア志向のフレムヘン(ジョーン・クロフォード)が面接にやって来る。

更には、ブレイジングの会社の帳簿係で、医者から余命幾ばくもないと宣告され、最初で最後の贅沢をしようとやって来た場違いなクリンゲライン(ライオネル・バリモア)が、チェックインしてきた。

そんな中、フォン・ガイゲルンが、グルシンスカヤの部屋に忍び込んで・・・

映画史上に燦然と輝くシネマ・クラシック作品。

様々な人生を抱え込んだ人間たちが一箇所に集まり、複雑に絡んでいく。これを『グランド・ホテル形式』と呼ぶ。そんなドラマを、当時、誰もが一枚看板で、客を呼べる大スターを競演させて映画化した。

先ず、ファースト・シーンの横並びの電話ボックスで電話する人間たちをドリー(移動撮影)で、舐めながら始まるシーンでいきなり鳥肌が立った。まさに、会話をしている人間の背景、そして、それぞれの人生の縮図を数秒単位で知らせ、その後、メインの四人が複雑に絡みだし、曲折していく。

更には、ドラマティックな展開を冷静な視線で見ていくドクターや仕事に忙殺されるフロントマンなど、バリエーションに富んだ人間たちが脇を盛上げる。

また、撮影時の有名な逸話として、自分こそがナンバーワンだと思っていたガルボとクロフォードの女優二人は、相手にライバル心を燃やし、一切、同場面で登場を拒否し、お互い別々に相手の演技をラッシュ(荒編集)で見て、自身の演技を調整し、常に相手より格上であろうとしていたとも言われている。

その演技自体が今見ると歌舞伎の大見得を切るような古色蒼然としているが気品があるという、時代ゆえの錯誤を感じる。また、演出も大時代がかっている。しかし、それがサイレントからトーキー(発声)映画としての歴史でもあるのだ。

自分が本作を初見したのは東京京橋にある国立近代美術館のフィルム・センターだった。当時は、映画ファンなら誰でも、タイトルだけは知っているが見るチャンスはまったくないという、幻のクラッシック作品であった。何故なら、日本では戦前に公開されただけで、その後、劇場では一般公開をされてなかったのだ。

つまり、本作を見ていた評論家は、淀川長治など、戦前からの人間のみだった。ゆえに当時の若手や、中堅の映画評論家が、大挙して駆けつけていた。しかもアメリカからフィルムを特別貸出してもらっての上映のため、字幕ナシだった。

自分はまだ学生で、英語などまったく解らず、登場人物の役名がロシア系やドイツ系で、台詞なのか役名なのか区別できない状態で鑑賞した。しかし、これぞ古典的名画と感銘を受けた思い出がある。

それが、いまや500円の字幕付DVDで鑑賞できる時代だ。幸せである。

確かに、あまりにも時代がかっているので、途中棄権する人もいよう。だが、映画の歴史的流れに興味がある人間は避けて通ってはいけない作品である。

余談雑談 2009年2月28日
先ず、お詫びから。 先週、紹介した「パニック・イン・スタジアム」の製作年度表記が(1972)となっていましたが、正確には(1976)でした。訂正してお詫び申し上げます。 下町にある実家のタバコ屋。近辺は昔、修学旅行生向けの旅館街だった。それ