さらばキューバ – CUBA(1979年)

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スタッフ

監督: リチャード・レスター
製作: アーリン・セラーズ、アレック・ウィニスキー
脚本: チャールス・ウッド
撮影: デヴィッド・ワトキン
音楽: パトリック・ウィリアムス

キャスト

デイプス / ショーン・コネリー
アレハンドラ / ブルック・アダムス
ガットマン / ジャック・ウェストン
ラミレス / ヘクター・エリゾンド
スキナー / デンホルム・エリオット
ベイヨ将軍 / マーティン・バルサム
ファン・プリド / クリス・サランドン
ファスティーノ / アレッハンドロ・レイ
テレーズ / ロネット・マッキー

日本公開: 1980年
製作国: アメリカ セラーズ、ウィニスキー・プロ作品
配給: ユナイト


あらすじとコメント

今回も政情不安な国に乗り込んでいく大国の男の話。しかし、中立を心掛けるジャーナリストなどではなく、軍事顧問だ。

1958年キューバ。バチスタ独裁政権に対し、反旗を翻したカストロ率いるゲリラ部隊が優勢に回っていた頃。

首都ハバナの空港に、ひとりの男が降り立った。デイプス(ショーン・コネリー)という男で、政府軍のベイヨ将軍(マーティン・バルサム)が招聘したゲリラ戦に長けた軍事顧問だった。しかし、デイプスは、もはや政府側に勝算はないことを知っていた。

では、何故やって来たのか。それは15年ほど前、この地で恋に落ちたアレハンドラ(ブルック・アダムス)と、どこかで再会できるのではないかと思っていたからだ。程なく、彼女が巨大コンツェルンの放蕩息子夫人になっていることを知る。

何とか、再び彼女と接したいと願うデイプスだが、ゲリラ部隊がハバナに近付いてくるにつれて、状況が益々混迷してくる。

更に、コンツェルン内の従業員たちの中からも、続々とゲリラ側に加担するものが増えてきて・・・

混乱を極める動乱の中で繰り広げられる男女の恋模様。

かつて愛し合った男と女。女にとっては初めての相手で、当時、年上の男の魅力に翻弄されたが、今では人妻になっている。そして、純真無垢だった女の少女時代の面影を追う中年男。しかも、戦時下という切迫した状況下である。

往年の映画ファンなら、この設定で、あれ、と思う御仁もいるだろう。「カサブランカ」(1942)である。

内容もセンチメンタルな展開で、完全にダブる。もっと、うがった見方をすれば、主役を呼んだ政府軍の将軍は「カサブランカ」での警察署長だし、アメリカの太ったビジネスマンはどこか、必死にカサブランカからの出国を願うピーター・ローレに重なる。

ゆえにどうしても斜めに見てしまった記憶がある。

監督はリチャード・レスター。ここで扱った「ジャガーノート」(1974)の監督である。アメリカ映画らしいストレートでセンチメンタルさを高らかに謳い上げず、イギリス映画ばかり撮っていた彼らしい、背筋を伸ばし、少し格好つけているが、どこか醒めているという視点で描いていく。

ただ、明らかに違うのは、男女の感性と感覚の違い。または、時代性の違いとも呼べようか。逆に同じ部分は、双方とも再会して心乱れる点。

そして想い出と幻想にしがみついている度合いが高いのは良い歳をした男のほうだということ。それをシブさが増していたショーン・コネリーが演じる。一方のブルック・アダムスはクールな美人で、芯が強いという印象。

そういった男女の再会劇に革命が影を落としていく。そして主役であるコネリー側が、自身も政府も劣勢になっていくという、ある種、滅びの美学にも似た、陰影を加えていく。

自分を雇っている側の堕落と勝ち目のなさは敏感に感じ取るが、自身のかつての恋には冷静さが伴わない。そのアンバランスさが、近い将来の政府と自分に重なってくる。

観ている側も段々と陰鬱になってくるという寸法。そして、映画は首都ハバナに近付いてくるゲリラ側の攻撃が激しさを増す一方で、二人の関係性にも微妙な変化が生じていく。明確なる外敵と、自分自身の内なる敵。

戦闘の結果は歴史が証明しているので、そちらの結末は明白である。他方で、主人公たちはどういった結論をだしていくのか。『革命』と『再会』。何がシンクロし、何が違っていくのか。

有名な歴史を背景にしているだけに、導きだされるラストは観客の思想なり、価値観で評価が変わろう。

余談雑談 2009年5月30日
複雑な心境になることが起きた。 ここで、かなり初期に紹介したとある作品。30年以上前に見たきりで、再見したくてしょうがなかった映画でもある。それが、昨年末、イギリスでDVDが発売された。 当然、字幕もない。しかもアメリカ経由でしか購入できな