スタッフ
監督: ジョン・フォード
製作: サミュエル・ゴールドウィン
脚本: ダドリー・ニコルス
撮影: バート・グレノン
音楽: アルフレッド・ニューマン
キャスト
マラーマ / ドロシー・ラムーア
テランギ / ジョン・ホール
デラージ夫人 / メアリー・アスター
ピール神父 / C・オーブリー・スミス
カーサン / トーマス・ミッチェル
デラージ / レイモンド・マッセイ
看守 / ジョン・キャラダイン
ネイグル船長 / ジェローム・コーワン
大酋長 / アル・キクメ
日本公開: 1937年
製作国: アメリカ S・ゴールドウィン・プロ作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
引き続きジョン・フォード作品。今回も西部劇でなく、特撮を多用した異色作。
タヒチから約1000キロ離れた南太平洋に浮かぶ小さな島マヌクラ。
ここはフランスの植民地で、デラージ(レイモンド・マッセイ)が統治していた。そんな彼は、妻がフランスから帰ってくるので、唯一寄港する商船カタプア号を、医師カーサン(トーマス・ミッチェル)と一緒に待っていた。やがてカタプア号がやって来る。現地人の航海士テランギ(ジョン・ホール)を待つ恋人のマラーマ(ドロシー・ラムーア)も島民と一緒に出迎えた。
そんなテランギとマラーマは次の航海を前に結婚式を挙げ、島のはずれで新婚生活を送った。幸せの絶頂だったテランギはしばし妻に別れを告げ、航海へと旅立った。
しかし、寄港したタヒチで無礼な態度を取った白人を殴り、重傷を負わせてしまう。船長は何とか取りなそうとするが、相手が要人だったことから、半年の拘留が決まってしまった。しかし、愛する妻に逢いたい彼は脱獄を試みるも逮捕され、刑期が二年も延びてしまう。
それでも妻が妊娠していることを知ると、思慕の情を断ち切れず、脱獄を繰り返し、結果16年の懲役になってしまって・・・
迫害を受ける原住民たちの心意気を描くスペクタクル巨編。
文明国の白人が植民地政策をとっていた頃。自然と共生し、独特の文化を持つ現地人を自分たちの論理で封じ込めていた時期でもある。
何よりも拘束を嫌う気高き男が、差別を受け、暴力を振るったら逆に、更なる迫害を受ける。それでも、反骨精神と愛する人間のために命を賭して脱獄を重ねる。
本作での悪役は、島の統治官と刑務所の看守などの白人である。しかし、逆に理解を示す医師や統治官の妻も登場する。そういった点には、ある程度のバランスが取られている。
しかし、うがった見かたをすれば、主役たちは『有色人種』である。本来、この時期に作られていた西部劇などでは、悪役専門だったインディアンに重ならないのだろうか。確かに西部劇でも、悪徳武器商人といった白人も登場はするが、裸で生活する野蛮人として偏見を伴って見ていたアメリカ人も多かったと推察される。まして、ジョン・フォード監督といえば、『西部劇』のイメージだ。
その監督が、有色人種をヒーローとして描く。それとも、遥か南方の話だから、まったく別世界としてイメージできたのだろうか。
確かに製作当時、『南洋モノ』と呼ばれたジャンルが盛んに作られていた。しかも、その大半がタヒチ周辺を舞台にした作品群だったらしい。しかし、何分、古過ぎるので全くといっていいほど、未見なのではあるが。
現代と違って、アメリカ人でも一生行けないであろうパラダイスとしての憧れがあったのだろうか。それゆえに冒険とロマンスというエキゾチックさが受けたのか。
そんな中の一本である。白人はすべてフランス系の設定だが、ハリウッド映画ゆえ、役者が全員アメリカ人なので、違和感はある。しかし、それは現代でも、外国人が総て英語を話し、手紙や新聞までが英語表記という作品が、当然のように作られているのと同じであるといえよう。
それでも、本作では統括官役のレイモンド・マッセイと医師役のトーマス・ミッチェルの演技合戦は、名優同士が役柄を理解した上で火花を散らすので、見ていて自然と作品に引き込まれた。
で、 本作の白眉は最大の見せ場であるハリケーン場面。今回、ここで扱うのでビデオをレンタルして再見したが、その迫力は今見ても、まったく色褪せていない。
確かに、CGが当り前の時代だ。いかにもミニチュアと解る場面やセットでチャチだと思う人もいよう。しかし、ゴジラなどの特撮で育った世代からすれば、流石のハリウッド映画だと感嘆の声を上げた。
しかも今から70年も前に作られた作品である。当時、良くぞこれほどの作品が撮れたと驚く。また、15万ドルで作ったセットを25万ドルかけて破壊し、誰一人怪我人がでなかったというのが宣伝文句だった。もっとも、70年前の15万ドルが現在の価値に換算して、いかほどになるのかがイマイチ解らないのだが。
映像技術が、さほど発達していなかった時代。実物大のセットに俳優を置き、大型扇風機と凄い水圧での放水といった力技が見て取れる。
そういうスペクタクル・シーンを見事に緩急のついた演出で見せるジョン・フォードの実力は流石である。特に短いカッティングでつないで行く編集のリズム感はCGが多用される現代の映画での基礎となっていると感じた。
ヤマ場のシーンまでは、いささか定石的なダルさを感じさせるが、70年も前にこんな映画が作られていたとは、映画恐るべしである。