スタッフ
監督: ジョン・フォード
製作: メリアン・C・クーパー
脚本: フランク・S・ニュージェント
撮影: ウィントン・C・ホッチ
音楽: ヴィクター・ヤング
キャスト
ソーントン / ジョン・ウェイン
メアリー・ケート / モーリン・オハラ
フリン / バリー・フィッツジェラルド
デナハー / ヴィクター・マクラグレン
ロネガン神父 / ウォ-ド・ボンド
ティラン夫人 / ミルドレッド・ナトウィック
トビン老 / フランシス・フォード
プレイフェア牧師 / アーサー・シールズ
プレイフェア夫人 / アイリーン・クロウ
日本公開: 1953年
製作国: アメリカ アンゴシー・プロ作品
配給: リパブリック、NCC
あらすじとコメント
引き続きジョン・フォード監督とジョン・ウェイン主演のコンビ作。ある意味、今回も『桃源郷』的な話。
アイルランド、キャスルタウン。190センチ以上ある大男のソーントン(ジョン・ウェイン)が、遥々、アメリカからやって来て、駅に降り立った。
駅員たちは見慣れぬ男に興味津々の態だ。彼は「イニスフリーはどっちだ」と聞いた。周りの人間たちは、好き勝手なことを言いだし、ソーントンが困惑していると馬車屋のフリン(バリー・フィッツジェラルド)が、乗せて行くぞ、と笑った。途中、一軒の小さな廃屋を愛しそうに眺めて、ソーントンがあの家を買うと言う。驚くフリンに、覚えてないのか、自分はあの家で生まれた、と。
ソーントンは、アメリカを棄て、生まれ故郷に骨を埋めに帰ってきたのだ。しかし、現在、その廃屋はとある未亡人が所有していた。しかも、その未亡人に気のあるデナハー(ヴィクター・ママクラグレン)が、何とか彼女に近付く手段として狙っていた物件だったのだ。そんなことは露知らず、意気揚々と交渉に向う途中、赤毛の美女メアリー・ケイト(モーリン・オハラ)を見つけ、一目惚れしてしまうソーントン。
しかし、彼女がデナハーの妹だったことから・・・
名匠ジョン・フォードが心の故郷を郷愁たっぷりに描く秀作。
かなり昔、邦画はチャンバラ、アメリカ映画は西部劇、と言われた時代があった。
その西部劇というとジョン・フォード監督で、ジョン・ウェイン主演のものが絶大なる信用と人気があった。
それはフォード監督のメリハリの効いたアクション場面、詩情を感じさせる風景、そして何よりも男としての生き様の描き方が際立って上手かったからである。時として、そういった要素にユーモアを交え手堅く描いていく。
また、そんな監督の感性を理解した、ジョン・ウェインを筆頭にした「フォード一家」と呼ばれる顔馴染みの俳優たちが、演じていたからである。
本作は公開当時、そのコンビが西部劇でなく、アイルランドを舞台にした、恋愛がメインの映画を作ったということで驚かれたようである。しかし、流石の名コンビと好意的に受け入れられた。
それは、監督自身はアメリカ生まれだが、先祖はアイルランド人という誇りがあり、その流れる血に強く影響を受けていたからだ。
常に自分は『アイリッシュ』だという、流れを強く感じ続け、それをストレートに映画として昇華させたいという切なる願望があったといわれている。そして作られたのが本作。
物語は、主人公とヒロインとの恋の行方がメインではあるが、フォード監督は自分の祖先である『愛すべきアイルランド人気質』を思い入れたっぷりに描いた。
それらは、昔ながらの大らかさを感じさせる結婚のしきたりであり、ギャンブル好きで酒好き、そして何よりも男は腕力が強いのが一番であるといった風習。
主人公はアメリカ帰りという設定なので、進歩的で合理的な考え方をする男として描かれる。しかし、妻にしたいと願う女性は、結婚には、持ち家具と持参金がなければ、メンツが立たないと信じている。
そんな妹の性分を知っている兄は、自分が欲しがっていた家を横取りしていった風来坊に対して、持参金をビタ一文払わないと公言する。もし、妹が欲しければ男らしく殴り合いでかかって来いという。しかし、主人公はその挑発に応じない。何やら主人公には過去に苦い経験があるという展開。
そういった展開を、どこか、のどかさを感じさせる緑豊かな大自然を背景に描いていく。確かに、今見てみると、時代がかった設定だし、展開も生温いと感じる御仁も数多くいるだろう。
しかし、メリハリの効いた作劇は流石と思わせるし、死を賭けた銃による西部劇特有の決闘とは違う『男の勝負のつけ方』は、面白いと感じた。
万事に大らかさが優先し、予定調和のエンディングに向って行くという進行に、いつの間にか映画が忘れていった心意気を感じた。