スタッフ
監督: オットー・プレミンジャー
製作: オットー・プレミンジャー
脚本: ウォルター・ニューマン、L・メルツァー
撮影: サム・リーヴェット
音楽: エルマー・バーンスタイン
キャスト
マシーン / フランク・シナトラ
ザッシュ / エリノア・パーカー
モリー / キム・ノヴァック
バロウ / アーノルド・スタンク
ルイ / ダーレン・マクギャヴィン
スイフカ / ロバート・ストラウス
ドランキー / ジョン・コンテ
ヴィ / ドーロ・メランデ
マーケット / ジョージ・E・ストーン
日本公開: 1956年
製作国: アメリカ ユナイト作品
配給: 松竹映配
あらすじとコメント
引き続いてオットー・プレミンジャー。当時は、映画では扱わなかった題材を正面切って描き、物議を呼んだ作品。
アメリカ、シカゴ。フランキー・マシーン(フランク・シナトラ)が、バスから降り立った。彼は、半年の入院生活を得て、麻薬中毒を治療し帰ってきたのだ。
仲間たちが親しげに話しかけてくる。かつて、彼は『黄金の腕』と呼ばれたポーカーの天才的配り手だったが、薬で身を持ち崩したのだ。そんな彼は、治療中に習ったドラムで、再起を誓っていた。
そのことを報告しようと彼は車椅子に乗ったザッシュ(エレノア・パーカー)の元へ向った。しかし、彼女は浮かない顔をした。半年も放っておいた自分より、早速、バンドのオーディションを受けようとする彼の言動が気に入らなかったのだ。
そんな彼に、麻薬のディラーで、賭けポーカーの胴元でもあるルイ(ダーレン・マクギャヴィン)が、不敵に笑って近付いてきた。また、ポーカーで一緒にひと儲けしようというのだ。
その場に居合わせた、かつてのフランキーの恋人だったモリー(キム・ノヴァック)は・・・
人間の弱さとエゴを正面切って描いた問題作。
麻薬中毒から身を持ち崩し再起を誓った主人公。
しかし、それを素直に喜ばない周囲の人間たち。悪党仲間は当然だし、身障者の恋人も何かいわくあり気だ。主人公の子分を自称する悪党になりきれない男や、刑事たちも彼が再起したなどとは微塵も思っていない。
誰もが、貧民街という社会の底辺で蠢くしか生きる術を知らない人間たち。そして主人公も、麻薬中毒は治療したものの人間性までは完治していない。
そんな彼が、元の古巣に戻ってきたこと自体が問題なのである。しかし、そんな主人公を一番心配しているのはクラブに勤める元恋人。現在の車椅子の恋人と複雑な三角関係の構図も見える。そんな元恋人も、今は気弱なヒモがいる。
誰もが人生の問題を抱えているという設定。というよりは、普通の生活を営む常識的観念を持った人間は一切登場しないのだ。
明るく健全な映画が主流だった時代。しかもタブー視されてきた麻薬中毒患者という、かなり際どい設定を正面から描いた問題作である。
しかも、『中毒患者』役を演じればアカデミー賞への近道と言われる決定打になった作品。
本作以前にレイ・ミランドがビリー・ワイルダーの秀作「失われた週末」(1945)でアル中患者を演じて主演男優賞を受賞し、本作でシナトラが、やはりアカデミー主演男優賞を受賞したから。
そして、もうひとつ興味深いのがエレノア・パーカーとキム・ノヴァクという女優への役の振り分けである。
本作までは、どちらかというとパーカーは清楚で心優しい女性を演じ、一方、デビューしたてのノヴァックはセクシー系悪女というイメージが強かったのだが、その役柄を逆転させたのだ。
ここに、映画監督オットー・プレミンジャーの製作者として併せ持つ、したたかさを感じる。
監督は自身で常に製作者を兼ね、映画もオリジナルではなく、原作がある題材を選ぶ。しかも、常にその時代としては際どい設定で、社会の話題になりそうなモノをチョイスする。かなり『したたか』である。
また、製作サイドのみならず、役者としてもワイルダーの大好きな作品のひとつ「第十七捕虜収容所」(1953)での、嫌な悪役である収容所所長や、TVシリーズの「バットマン」でのミスター・フリーズという敵役を嬉々として演じている。
なんとも映画を様々に楽しむ御仁という印象。ただし、彼の殆どの作風は奇を衒わず手堅くまとめ過ぎるという印象が拭えないのだが。
それでも、最後まで飽きずに見続けさせる力量はある。
本作は映画史上初めてモダン・ジャズ風な音楽を持ち込んだ作品であり、直線をモチーフにしたソウル・バスによる斬新なタイトル・デザインと相まって映画史上に残る冒頭のタイトル・シーンとしても位置付けられている。