スタッフ
監督: ハル・アシュビー
製作: ウォーレン・ビーティ
脚本: ロバート・タウン、ウォーレン・ビーティ
撮影: ラズロ・コヴァっクス
音楽: ポール・サイモン
キャスト
ラウンディ / ウォーレン・ビーティ
ジャッキー / ジュリー・クリスティー
ジル / ゴルディ・ホーン
フェリシア / リー・グラント
カープ / ジャック・ウォーデン
ポープ / トニー・ビル
ローラ / キャリー・フィッシャー
ノーマン / ジェイ・ロビンソン
イースト上院議員 / ブラッド・デクスター
日本公開: 1975年
製作国: アメリカ、コロンビア作品
配給: コロンビア
あらすじとコメント
映画編集出身のハル・アシュビー監督作品にしてみた。セレブな女たちを手玉に取るハンサムな美容師の人生ドラマ。
アメリカ、ロサンジェルス。ビバリーヒルズにある連日セレブ女性が集まる美容室に勤めるラウンディ(ウォーレン・ビーティ)は、人妻のフェリシア(リー・グランド)とセックスの真っ最中に、恋人のジル(ゴルディ・ホーン)から呼びだされた。成り行きからジルを抱くと早朝、そのまま美容室に出勤した。
彼は自分の店を持ちたいという野望を持っていた。機が熟したと考えた彼は仕事を適当に切り上げ、銀行に融資話に行くが、何の担保もないので門前払いされてしまう。
面白くない彼が美容室に戻るとフェリシアが怒って待っていた。適当に取り繕うラウンディ。
そんな彼の独立話を聞いて、彼を愛するフェリシアは、大金持ちで実業家の亭主を紹介すると言いだして・・・
愛への渇望とセックスに溺れる人間たちを描く作品。
映画は身勝手で上昇志向のみが強い若い男の野望と、その結果が招く、人生の真実に気付くまでの二日間を描いていく。
登場人物は、主人公と売れない女優の若き恋人、彼が担当する人妻、その旦那、娘、更には旦那の愛人。それぞれが、複雑に絡み合って行くという筋書きである。
何よりも凄いと思ったのは、主人公が、たった二日で6回もセックスをするという点。どれほどタフな種馬かと感じ入った。
その上、当初は主人公をゲイかと間違う成金親父も家族そっちのけで愛人を溺愛し、束縛している。当然、その愛人は主人公が担当する客でもある。
セレブとは、派手な見てくれとは裏腹に、皆が愛情に飢え、その上、それを補おうとセックスに溺れる人種であると切り捨てる。
かなり風刺の効いた視点。しかも、時代背景は1968年のニクソン対ジョンソンの大統領選前夜である。つまり、若者たちはヴェトナムで戦っている最中である。
成金実業家は、ニクソン支持で政治資金パーティーを催し、大統領選出に、かなり貢献していると思い込んでいる人物だ。そんな彼が上院議員を呼んでの資金集めパーティーの場で、そこに主要人物が全員顔を揃えるという展開。
全員が正装して談笑しあう中、それぞれの思惑が交錯し、いびつな価値観が噴出していく。
特に主人公は、若くてハンサム。それを最大限武器に使い、自らの欲望を年上、年下を問わず、セックスの捌け口として処理し、遥かアジアの果てで行われている戦争などには一切興味もなく、自分の美容師の実力とセックス・アピールで、簡単に夢を実現できると思っている。
しかも、総てに真摯に対応しようなどとは考えず、ある意味、行き当たり場当たりである。
一方で、豪邸に住み、家族もいるのに、勝手に愛人を作る人間たち。売れない女優も、どこか情緒不安定さを醸しだしている。
監督のアシュビーは常に、一歩引いた視点で彼らを追っていくのだが、個人的には、結局、誰にも感情移入できなかった。
また、背景は反戦運動も盛んだった時期である。しかし、そんな若者たちも、独自のパーティーを催し、フリー・セックスにドラッグという自由を謳歌している人間として描かれる。中には、自分がいつ召集され、戦地に赴くかもしれない不安感から逃げたいと思っている若者もいよう。しかし、本作でスポットを浴びるのは、単なる享楽主義者たち。そこにも戦争の影は微塵もない。
映画界では、アメリカン・ニュー・シネマが台頭し、反戦運動をサポートしていた時期でもある。そこに、やはりニュー・シネマの担い手と位置付けられていた製作と脚本も兼ねているビーティとアシュビー監督が、敢えて、どの人物たちをも突き放すことによって、その時代を描いた。
ある種、自己批判という毒を含めた、戦争など所詮、他人事で、そんなことよりも、今日明日を当り前に生きる人間たちを描いた作品と位置付けできようか。