スタッフ
監督: ロバート・ワイズ
製作: ハロルド・ヘクト
脚本: ジョン・ゲイ
撮影: ラッセル・ハーラン
音楽: フランツ・ワックスマン
キャスト
リチャードソン / クラーク・ゲーブル
ブラッドソー / バート・ランカスター
ミューラー / ジャック・ウォーデン
カートライト / ブラッド・デクスター
ルビー / ドン・リックルス
ルッソ / ニック・クラヴァット
リチャードソンの妻 / メリー・ラロッシュ
ラート / エディ・フォイ三世
キューレン / ルデイ・ボンド
日本公開: 1958年
製作国: アメリカ、ヘクト・ランカスター・プロ作品
配給: 松竹、ユナイト
あらすじとコメント
今回も第二次大戦を背景にした潜水艦映画。いかにも戦争映画らしく逞しい男臭さ満載の作品。
アメリカ、ハワイ。日本の豊後水道で、自らが指揮していた潜水艦を撃沈され、以後、地上勤務を命じられたリチャードソン中佐(クラーク・ゲーブル)。
彼は、そこが未だに『魔の水域』と呼ばれ、戦果が一向に上がらないことに業を煮やし、いつかは復帰して、復讐したいと念じる日々を送っていた。
そんな折、真珠湾基地に、甚大なダメージを受けた潜水艦「ナーカ」号が帰港してきた。重傷を負った艦長に変わり、副長ブラッドソー(バート・ランカスター)が指揮を執り、修理をして、すぐに復帰し、一矢報いたいと思っていた。
それは乗組員たちも同じで、誰もが信頼厚いブラッドソーが、そのまま艦長に昇進すると思っていた。
しかし、上層部が新艦長にリチャードソンを任命したことから・・・
ありがちな設定を手堅く見せる戦争映画。
『同じ釜の飯を喰う』という仲間意識が強く、常に同じ顔ぶれで、死ぬ場合も全員が一緒であるという可能性が、非常に高い潜水艦。
そこに新参者が長として赴任してくる。その上、新艦長も以前に失敗し、部下たちを殺している。当然、乗組員たちは、常に一緒の副官を信頼している。
しかも、副官を演じているのがバート・ランカスターである。あくまで主役はハリウッドの『キング』、クラーク・ゲーブルなのだが。
そこで往年のファンなら、察しが付くだろう。ここでも紹介したゲーリー・クーパー主演の「ヴェラクルス」(1954)と同じである。しかも、製作はランカスターのプロダクションである。
そんな彼の悪い癖なのか、主役に格上の大スターを起用し、自分は脇に回るが、主役を喰ってしまおうとする。
ただし、今回は、少し勝手が違ったようだ。それは、「ヴェラクルス」と違い、自分が完全なる悪役として対比できないからである。軍隊という上下関係がはっきりしている場所。しかも心で念じている思いは同じ、という微妙なポジション。
原作は元海軍中佐が書いたもの。未読であるが、聞き及んだところによると、原作では、あくまでもランカスター演じる副官は、その他多勢の一人という描かれ方らしいが、本作では主役と同格のように扱われている。
結果、そこが中途半端な印象になっているとも感じた。
ただし、共演陣は興味深い。名作「十二人の怒れる男」(1956)で、野球観戦に行きたくてしょうがない陪審員7番を演じたジャック・ウォーデン、「荒野の七人」(1960)で、主役ユル・ブリンナーの旧友役ブラッド・デクスターや、どこか『小さなテリー・サヴァラス』という印象のドン・リックルスなど、曲者が揃っている。
監督はロバート・ワイズ。ただし、出世作「ウエストサイド物語」(1960)を撮る以前の作品なので、認知度と実力がまだ浅い。
作劇としても、新艦長が謎の訓練行動を執り、それが一体、何のためであるのかという推理劇的進行と、他の乗組員たちとの軋轢といった正攻法で押してくる。
しかし、一番引っ掛かるのは、敵が、『日本』であるということ。
舞台になる「豊後水道」は、英語発音では『バンゴー』であり、登場する日本の戦艦等も、日本人から見ると、独特の日本らしいフォルムを伴わないデザインで、一体どこの戦艦なのかと混乱する。
ある種、SF映画としての印象さえ感じた。
ただし、そういう斜に構えた見方さえしなければ、手堅く仕上がった、面白い作品であるのだが。