スタッフ
監督: ドゥイリオ・コレッティ
脚本: オレステ・ビアンコリ、ドゥイリオ・コレッティ
マルカントニオ・ブラガディン
撮影: レオニーダ・バルボーニ
音楽: ニーノ・ロータ
キャスト
艦長 / レナート・バルディーニ
リリイ / ロイス・マックスウェル
水夫長 / フォルコ・ルッリ
少尉 / カルロ・ベルリーニ
中尉 / アルド・ルーフィ・バンディ
ジョニー / カール・キャメロン
ファンドーレン / ダヴィド・カルボナーリ
フェルナンデス / ホセ・ファスペ
フォーゲルス / ロドヴィーコ・チェリアーナ
日本公開: 1955年
製作国: イタリア ミネルヴァ・フィルム作品
配給: イタリ・フィルム、NCC
あらすじとコメント
潜水艦映画が続いた。昔から、この手の映画には面白い作品が多いと言われる。玉石混合であるが、ある意味、正解でもある。で、折角だから、もうしばらく続けようと思う。
第二次大戦下、大西洋。イタリア潜水艦カペッリーニ号がイギリス艦を魚雷で沈没させた。艦長(レナー ト・バルティーニ)は、浮上すると波間に漂っていた婦人部隊の中尉リリイ(ロイス・マックスウェル)、他に陸軍中尉と新兵の三名を救助し、収容した。
彼女らは艦尾の小室に軟禁されるが、そこにはアメリカ人の作家、長く放浪生活を続けている自由な南米人、気の良い黒人、オランダ商船の船長の四人がいた。彼らは戦争捕虜であるが、艦長はゲストとして接した。
ある日、艦は水平線上にイギリスの武装貨物船を発見し、魚雷二発を発射。しかし、失敗。すると艦長は、浮上しての交戦を命じた。
だが、突如、敵機が来襲してきて・・・
ヒューマニズム溢れる戦争映画の佳作。
実在した潜水艦の航海日誌をベースにした作品であるので、戦闘シーンのみならず、狭い艦内での日常、といった人間ドラマが繰り広げられる。一応のメリハリはあるが、妙に淡々としたペースで進行する作劇。
敵であるが、相手を同等の人間として接する乗組員たち。当初こそ、英軍将校が抵抗を見せるが、やがて戦争は『国の威信』を賭けて行われる蛮行であり、一個人としては、赤い血が流れる人間として理解し合って行けるというメッセージがハッキリと浮かぶ。
そのために用意される世界各国のステレオ・タイプな人間たち。
戦闘シーンは、ドキュメンタリーの映像が挿入されるので、いささか編集での無理などが散見するが、狭い艦内でのドラマは興味深い。
不味そうな食材での食事、水夫長が秘蔵するチキンの缶詰や、「自宅の小窓」と称して、恋人の絵が書いてある粗末な箱を壁に貼り付けてある風景など、微笑ましいシーンがこちらの心を和ませる。
当然、攻撃を受け、海底深く沈んでいくサスペンスもあるが、その後、浮上して全員が夕焼け空の中、大きく深呼吸する場面など、常に、ゆったりとしたペースなのである。
中でも白眉なのは、クリスマスのシーン。モップをツリーに見立て、空き缶を飾り、古新聞でリースを作る。そこには敵も味方もない。ほのぼのとした良い場面である。しかし、そこに警報が鳴る。一瞬にして現実に戻る瞬間。
そして、更に撃沈した敵艦船の乗組員24名が登場してくる。当然、彼らを収容するスペースは艦内にはない。
一体、艦長はどのような判断を下すのか。
しかし、ドラマティックに盛り上げることはない。あくまで強調されるのは、美しい海と空だ。
本作はリバイバルの時はタイトルが変更された。「潜水艦潜航せず」である。こちらのタイトルでご覧になった御仁もいるかもしれない。
アメリカ映画やフランスとも違う作風。敗戦国が作った映画であるが、悲惨さが強調されることはない。逆にどこか清々しさが漂うのだ。
そこに、ほんの少しの希望を感じる作品である。