スタッフ
監督:サタケミキオ
製作:中島一郎、宮崎恭一、香月淑晴 他
脚本:サタケミキオ
撮影:小松原茂
音楽:矢田部正、西田和正
キャスト
南克行 / 宅間孝行
友永雪 / 永作博美
石川えり / 鈴木砂羽
浪越文太 / 二階堂智
和田政子 / 阿南敦子
利根川一 / 飯島ぽぽぽ
中垣健太郎 / 伊藤高史
雪(少女時代) / 尾高杏奈
克行(少年時代) / 兼子舜
文太(少年時代) / 渡辺大
製作国: 日本 エクセレントフィルム作品
配給: エスピーオー
あらすじとコメント
40歳直前の男女の離婚から、それぞれの心情を青春時代の思い出にオーバー・ラップさせてコミカルに描く。
東京。映画製作会社を経営する南(宅間孝行)は、若い女優との不倫に溺れていた。そんな南は高校時代の同級生で、初恋の相手の雪(永作博美)と夢をかなえて結婚したが、万事順調なのは自分だけの力と自惚れて、遂に離婚に踏み切った。
すぐに、若い女優と同棲生活に入り、仕事も更に順調に見えた。しかし、何故、妻は簡単に離婚に合意したのかと不思議にも感じていた。そんな彼に、やはり高校の同級生で、現在は雑誌編集者をしている、えり(鈴木砂羽)から突然、連絡が入った。
「雪にはその後、連絡はしてないの?」適当に誤魔化す南。すると、急に涙声になったえりが続けた。
実は、雪からは口止めされてるんだけど、重要な話があるの・・・
離婚を通して描かれる、中年男女の人生の再確認。
高校の同級生で、以来、ずっと仲良しの中年の男女たち六人が繰り広げる、笑いあり、涙ありのハートフル・コメディと呼ぶべき作品。
作劇としては、コメディ部分が大半を占め、現在と高校時代のエピソードが、行きつ戻りつしながら展開される。
監督は本作が映画デビューとなるサタケミキオ。彼は脚本も兼ねている。その上、主役も演じている。元々は、劇団「東京セレソンデラックス」の主幹。脚本家としては、TVドラマで実績もある。
そんな彼のワンマン映画とも呼べる作品に仕上がっている。脚本家として、考えに考え、練りに練ったストーリィを構築する。今度は、それをどのように映像化するか。更には、主人公はどのように演じようかと、ひとり三役で大車輪の活躍である。
舞台人としての実績もあり、脚本家としての実績もある。しかし、自身での映像化は初めて。そこに彼の悩める姿が投影されている。
で、その結果はどうであるか。やはり気負い過ぎの部分が目立った。
長年、様々な監督のデビュー作を見てきたが、日本の監督の場合、大方、いくつかに分類できると思っている。
映画全盛時代の昔は、助監督などを得て、そのまま映画畑からの昇格が当り前であった。彼らは、同じ土俵で飯を食ってきた延長にあるので、良くも悪くも『映画』としてのツボを心得ている。
その後、五社英雄など、TVドラマ出身の監督が登場する。現在では、TVドラマの映画化という作品が大勢を占めるので、その監督がそのまま映画化するというパターンが圧倒的と感じる。昔に遡るが、逆に斜陽化した映画業界から、TVドラマの監督として活躍した人間も多い。
その点では、映画とTVドラマは、ある意味、ボーダーレスになった感もある。続いて、台頭してきたのが、大林宣彦に始まり、市川準や、現在も活躍中の中島哲也といったCMからの転進組。それぞれの出身母体の影響が色濃くでていると感じる。
更には、本作のような舞台出身組。しかし、個人的には映像にばかり興味を持ってきたので、舞台には疎く、比べるのは失礼かもしれないが、やはり、毛色がまったく違うと感じる。
本作も然り。サタケ監督に、やはり舞台からTVの脚本家で認知度が上がり、監督までこなすようになった三谷幸喜と同じ匂いを感じた。
それは『映像センス』と、編集の『リズム感』である。舞台における展開の妙味は、練られた台詞と、些かオーバー・アクト気味な表現だと思っているが、それを映像化した場合は違和感を覚えることが多い。あくまでも個人的嗜好と、単なる思い込みであるのかもしれないが。
それでも映画で育った自分からすれば、ストップ・モーションやスロー・モーション、コマ落しやらCGといった映像テクニックを試したくてしょうがないという監督の意気込みを意識させられることも多い。
今回もそれを強く感じた。また、舞台では不可能であるロケの多用や、昔の時代の再現といった映像表現と、身体で表すコメディの部分は、遠くからでも解るような大袈裟なリアクション。そういった舞台的な手法と映像的センスのバランスが悪いと感じた。
ただ、永作博美は上手いし、舞台出身ではないであろう青春期を演じた若手たちも伸び伸びとして好感が持てる。
映画ばかりでなく、TVドラマや舞台なども幅広く見ている人間には、自分とは、また違った印象を持つであろう作品だと感じる。