スタッフ
監督: ロベルト・ロッセリーニ
原作: セルジオ・アミディ
脚本: S・アミディ、フェデリコ・フェリーニ
撮影: ウバルト・アラータ
音楽: レンツッオ・ロッセリーニ
キャスト
ドン・ピエトロ神父 / アルド・ファブリッツィ
ピーナ / アンナ・マニャーニ
マリーナ / マリア・ミーキ
マンフレーディ / マルチェロ・パリエーロ
マルチェロ / ヴィート・アニキャリーコ
ベルマン / ハリー・ファイト
イングリット / ジョヴァンナ・ガレッティ
フランチェスコ / フランチェスコ・グランジャケ
ラウレッタ / カルーラ・レヴェーレ
日本公開: 1950年
製作国: イタリア ミネルヴァ作品
配給: イタリフィルム
あらすじとコメント
前回扱った「ロベレ将軍」(1958)の監督ロベルト・ロッセリーニ。『ネオ・リアリズモ』と呼ばれる映画群のはしりであり、彼の名を一躍有名にした、映画史上の秀作。
第二次大戦末期のローマ。イタリア軍は降伏し、ローマは同盟軍であったドイツ軍の統治下に置かれていた。
そんな状況下、対独抵抗運動の中心人物マンフレーディ(マルチェロ・パリエーロ)が資金調達のため潜入していたが、ドイツの秘密警察に追われ、同志のフランチェスコの家へ逃げ込んだ。しかし、フランチェスコは翌日、子持ちの未亡人ピーナ(アンナ・マニャーニ)と結婚式の予定だった。
そこでマンフレーディは、やはり同志のピエトロ神父(アルド・ファブリツィ)に相談しようと・・・
イタリア映画を語る上で、避けて通れない歴史的作品。
かつての同盟国であったドイツに対するロッセリーニ監督の激しい思いが結実した作品である。
それは製作年度を見ても分るように、本作は実際に終戦二ヶ月前のドイツ統治下時代から企画を温め、ナチスの監視をかい潜り、アンダーグラウンドで映画製作に携わっていた仲間たちと秘密裏に連絡を取り合い、シナリオを起こしていたからである。
しかも共同脚本は、かのフェデリコ・フェリーニである。後年、彼がファンタジー色と哲学的な意味合いの強い作品を輩出していく背景に、こういった前歴があるのが非常に興味深い。
つまり、彼らは戦前、戦時中と軍部に協力し、戦後に贖罪の意識から社会派に転身した映画人たちとは、一線を画しているのだ。
ゆえに内容はストレートである。
追う者と追われる者の軸をメインに、それに関わる人間たちのドラマが繰広げられる。
当然、死者も多数でる展開であり、昨今のホラー映画とは完全に違う意味で、驚愕のシーンも登場する。
メインとなる対独パルチザン活動を繰広げるのは、普通の市民たちの他に、警官、牧師、子供まで様々である。
一方で、享楽に溺れ、相手に取入り、己のことしか考えないイタリア人も登場する。それとは別に、戦争に翻弄されながらも逞しく生きようとする人間なども、ほぼ均等に描かれる。
対して、ドイツのゲシュタポ(秘密警察)は、完全なる悪役として扱われる。彼らは、執拗な性格異常者であり、かつての同盟国の相手まで格下に見るという姿が強調される。それは同性愛者を連想させる底冷えのする女性将校まで、徹底的である。
劇中にもでてくるが、ドイツは自分たち『ゲルマン民族』こそが世界一の支配階級であるという奢った偏見を当り前のように言い放つ。
それゆえにかつての同盟国であるイタリア人でさえ、蔑視するのだ。実際に感じ、直視してきたことにインスパイアされたのだろう。
確かに今から60年以上も前に製作された作品である。音楽の使い方や、技法の荒さなどは、現在の視点で見れば、些かどうかという点も散見する。
しかし、当時、これほど大胆に市井の人間たちの生き様を描破した作品はない。アメリカを始め、世界中に驚愕の目で受け入れられたのも頷ける。
敗戦国ゆえに作ることが可能であったであろうし、戦争に蹂躙されながら、生き延びていこうとする姿勢や、逆に『命を賭す』ということが、リアルタイムで、極めて自然に描かれる稀有な秀作である。