戦火のかなた – PAIZAN(1946年)

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スタッフ

監督: ロベルト・ロッセリーニ
脚本: アルフレッド・ヘイス、R・ロッセリーニ、S・アミディ
フェデリコ・フェリーニ、マルチェロ・パリエーロ、他
撮影: オテッロ・マルテッリ
音楽: レンツォ・ロッセリーニ

キャスト

カルメラ / カルメラ・サッチョ
ジョー / ロバート・ヴァン・ルーン
黒人憲兵 / ドッツ・M・ジオンソン
ナポリの少年 / アルフォンシーノ
フランチェスカ / マリア・ミッキ
フレッド / ガー・ムーア
看護婦ハリエット / ハリエット・ホワイト
レンツォ / レンツォ・アヴァンツッオ
マーティン牧師 / ビル・タップス

日本公開: 1949年
製作国: イタリア カピタル・フィルム作品
配給: イタリ・フィルム、東宝


あらすじとコメント

ロベルト・ロッセリーニ監督作品。前回同様、終戦直後に製作されたネオ・リアリズモを語る上で欠かせない作品。

イタリア、シチリア島。1943年7月、連合軍は第二次大戦勃発後、初めてヨーロッパに上陸した。迎え撃つドイツ軍との攻防が繰広げられたが、既に劣勢だったドイツ軍。

そんな時期、とある小さな町に米軍の偵察小隊がやってきた。そこでドイツ軍は北の方角へ撤退したという村民たちの話を聞き、若い娘カルメラ(カルメラ・サッチオ)を道案内に頼み、偵察を続行する。

途中、とある廃墟で小休止した折、以後の場所は地雷が埋設され、危険と判断した隊長は、自分らが戻るまで、若き兵士のジョー(ロバート・ヴァン・ルーン)に、カルメラと待機するように命じるが・・・

戦争が人間たちに与えた影響を描くオムニバス作品。

挿話は全7話。上記したのが第一話で、次々とイタリアが解放されていく場所と時間の経過に沿って進行していく。

第二話は、解放されたナポリで泥棒をして逞しく生きる少年と黒人兵、次に解放後、半年経ったローマで再会するアメリカ兵士と売春婦になった若い女の交流が登場。

続いてのフィレンツェでは、対独パルチザンと行動するフィレンツェ出身のアメリカ軍看護婦が描かれ、ロマーニャ地方では、小さな山村の修道院を訪れる三人の米軍従軍牧師と修道士たちの姿が描きだされる。

最後はポー川流域が舞台になり、ドイツ軍に包囲され、劣勢なパルチザンと米英特殊部隊の戦闘が描かれる。

どの挿話も、戦争下での悲しい実情が描かれる。

死ぬ者、去る者、失恋、戦災孤児、捕まる者。誰もが戦争被害者である。そんなイタリア人たちと絡むのが連合国の兵隊たち。解放に来た勝者たちと敗戦国の人間たち。

しかし、単なる正義の解放者としては描かれない。彼らには彼らなりの論理があり、価値観がある。それによって産みだされる理解と相違。それは、国籍のみならず、宗教、同族内でも軋轢があり、融和と拒絶が繰り返される。

ドイツ軍がちゃんと描かれるのは、最終章のみである。

しかし、そこにも「無防備都市」(1945)同様、完全に見るものに感情移入させない極悪非道な『悪役』として登場する。そこにロッセリーニの徹底した視点がある。

しかも、戦時中に実際にあったエピソードを選んで映像化し、一話が短いにも関わらず、全挿話に絶望や断絶といった強烈なメッセージが見事に浮かび上がる展開。

また、現在は観光立国であり、世界的に有名で、一度は見たことがあるローマやフィレンツェなどの名所旧跡が随所にでてくる。しかも、終戦直後のリアルなロケである。

そういった名所の周りは瓦礫の山と化し、ホンモノの戦車や車両が当り前のように通り過ぎる。その異様さ。

しかも、出演者たちは無名で、プロの俳優たちではないが、全員がリアルに戦争を体験してきた人間たちである。

銃声に、自然に反応する立ち振る舞いや、その他大勢として登場するパルチザンたちの銃の持ち方、構え方なども、堂に入っており、寒気がするほどリアルである。

これこそが『ネオ・リアリズモ』の真骨頂と呼べるものである。あくまで劇映画としての進行であるが、戦争の真実であり、決して戦争を美化する英雄賛歌でもない。

冷徹なまでに醒めた視点で描かれる『ひとりひとりの戦争体験』。戦争を体験し、生き延びた人間だからこそ、描け、演じられる恐怖感と『痛み』を伴う秀作である。

だが、戦争をまったく知らない世代には、何を訴えるのだろうか。

余談雑談 2010年5月15日
手術も何とか無事に終わり、現在入院中である。リハビリもまだなく、単に静養中。で、DVDを見るか、同じ視点で看護師や患者を見る日々。 今回は、顔見知りの看護師が半分ぐらいになっていた。転属になったもの、離職したものと様々であるが、『寿退社』は