スタッフ
監督:佐々部清
製作:臼井正明
脚本:佐々部清
撮影:坂江正明
音楽:藤原いくろう
キャスト
橋本香織 / 伊藤歩
安川修平 / 藤井隆
宋美里 / 鶴田真由
安川良江 / 奥貫薫
宋良則 / 津田寛治
金田 / 橋龍吾
宮部絹代 / 藤村志保
香織の父 / 夏八木勲
修平(現在) / 井上尭之
劇場支配人 / 田山涼成
製作国: 日本 「カーテンコール」製作委員会
配給: コムストック
あらすじとコメント
どの町にも映画館があったころ。映画は娯楽の『王道』であり、映画館は娯楽の『殿堂』だった。昨今はまた、映画動員数が戻ってきているが、ある種、複合娯楽施設としてのシネコンで見るのが主流だ。一時期、日本映画界と映画館は、どんな道を通ってきたのか。
山口県下関市。東京でスクープをものにしながら、取材相手が自殺未遂を起こしたことから、福岡のタウン誌へ飛ばされた香織(伊藤歩)。そこで彼女は下関にある映画館でかつて幕間に芸を披露していた男がいたという葉書を眼にする。早速取材に行くと、50年近くもいるモギリのおばさんから、当時の模様を聞くことができた。
昭和36年。安川(藤井隆)という青年が映画館に雑用係として勤めていて、フィルム・トラブルのとき、咄嗟に歌で場を繋いだというのだ。それから人気がでて毎回、幕間を賑わせたという。そんな彼は、良江(奥貫薫)と知り合い、結婚をして一児を儲け幸せの絶頂だった。
だが、時代はテレビに押され、映画界は急激に斜陽化していった・・・
『映画館』という存在を通して描く人間ドラマの佳作。
日本が高度経済成長を遂げていたころ。人々の生活は便利になり、娯楽も多様化していった。そこで衰退していったのが映画だ。
自分が子供のころ、地元にも映画館が数多くあり、大きな手書き看板やポスターに胸躍らせていた記憶があるが、テレビやボーリング・ブームで次々と映画館が閉館していったのをハッキリと覚えている。
本作は、そのイメージが重なった。昭和30~40年代、映画は35ミリ・フィルムで上映され、一巻が約15分で一時間半の映画は六巻必要だった。映写機は2台あり、15分毎にフィルム・チェンジをしていた。
ロードショー館は問題ないが、2本立て3本立ての名画座などはフィルムの奪い合いで、一、二巻分のフィルムを入れた缶を自転車に乗せ、別な映画館へと運んでいた人間がいた。遅れれば、次の映画館での上映は不可能。
しかも、フィルムも何十回と回してるので、傷が付き、俗にいう『雨が降る』状態だった。更に劣化が進むと、切れたり、レンズの熱で燃えたりした。そういった事実が描かれていく。
懐かしさに胸が詰まった。知らない人には、そうだったのかという程度だろうが、知っている人間には万感迫るものがあった。そんな郷愁を増幅させるのが、劇中に映しだされる当時大ヒットした邦画。
ストーリィとしては、映画全盛時代にウケていたセミプロ芸人の家族が、以後、どのような人生を歩んだかが、在日朝鮮人への差別という問題を絡めながら描かれていく。メインになるのは、幕間芸人と娘、タウン誌記者の主人公と彼女の父親という二組の父娘の関係性。
どちらも上手くまとめてある し、出演者たちも力演である。だが、ドラマ性の追求の甘さと俳優たちの力演のバランスが上手く噛み合っていないとも感じた。そこに一歩間違えば、傑作になったであろうという寂寥感がある。
ただ、お笑い芸人として認知されている藤井隆、妻役の奥貫薫は素晴しいし、往年の映画ファンには、藤村志保や悪役でチョイ役専門だった福本清三がでているのは、懐かしさが込み上げるし、本来、ミュージシャンである井上尭之の下手さゆえの存在感も忘れ難い。
ストーリィ自体でも泣ける要素もあるが、当時を知っているかどうかで、かなり印象も変わろう。