スタッフ
監督: レオ・マッケリー
製作: レオ・マッケリー
脚本: ダドリー・ニコルズ
撮影: ジョージ・バーンズ
音楽: ロバート・エメット・ドーラン
キャスト
オマリー / ビング・クロスビー
ベネディクト / イングリット・バーグマン
ボガード / ヘンリー・トラヴァース
パッツィ / ジョーン・キャロル
ミカエル / ルース・ドネリィ
パッツィの父親 / ウィリアム・ガーガン
パッツィの母親 / マーサ・スリーパー
マッケイ医師 / リース・ウィリアムス
エディ / ディッキー・タイラー
日本公開: 1948年
製作国: アメリカ レインボー・プロ作品
配給: 日本RKO
あらすじとコメント
女優イングリット・バーグマン。彼女がイタリアに渡る前に出演した、割と知られていない作品にしてみた。
アメリカ、ニュー・ヨーク。市の片隅にある古ぼけたセント・メリー教会。そこは学校を併設しているが、運営や経済状況の悪化から、管理していた老神父が退任した。
現在、そこを代理管理しているのは、修道女ベネディクト(イングリット・バーグマン)だが、そこへ、後任としてオマリー神父(ビング・クロスビー)が新しく赴任してきた。
オマリーは革新的で、斬新なアイディアを実行する神父だ。しかし、着任早々、財政難から売却した隣接地にビルを建てて、教会自体も買収しようとしている実業家で市議会議長のボガード(ヘンリー・トラヴァース)や、家庭の事情で、突然預けられることになった13歳のパッツィなどが現れてきて・・・
ヒューマニズム溢れる人間像を謳い上げる佳作。
本作は以前、ここでも紹介した秀作「我が道を往く」(1944)の続編というか、姉妹編である。
主人公の同役をクロスビーが続投し、監督も同じレオ・マッケリー。そこに脂の乗り切っていたバーグマンを共演として持ってきた。
更には、脚本にジョ ン・フォード監督の映画史上の名作「駅馬車」(1939)や、他にもジャン・ルノワールやハワード・ホークスといった実力派監督作品を数多く手掛けたダドリー・ニコルスを起用している点も興味深い。
そういった布陣で本作に望み、また、前作直後に製作されていることから、当然、観客は「我が道を往く」を見ているであろうという進行。
ところが、実は、そこに続編の弱みを伴っているのも事実。だが、それでも、本作が尚、佳作として位置付けできるのは、定石ながらも得難いヒューマニズム溢れる内容として、安心して見ていける進行と、バーグマンの絶妙の美しさと存在感あってのことである。
ここに製作、監督、原作を兼ねたマッケリーの妙味が感じられる。
それは、前作では主人公の若手で革新的な神父以上に、強烈なる印象を与える老神父に重点を置き、本作でも、脇役であるバーグマンに花を持たせる進行をメインとしていること。
しかし、ちゃんと歌手としても大人気であったクロスビーには前作同様、数曲歌わせ、バーグマンにさえ、映画初となる歌声を披露させて、観客を楽ませる。中々の策士である。
そういった様々な観点から観客を楽しませるマッケリーだが、本作で一番、ハタと膝を打ったのは、敵役の実業家役にヘンリー・トラヴァースを配したこと。彼は、個人的に『最高にチャーミングな老人キャラ』として位置付けしている二人の内のひとりで、「素晴しき哉、人生!」(1946)で、二級天使を演じた俳優なのだ。
で、もうひとりが、前作「我が道を往く」で老神父フィッツギボンを演じたバリー・フィッツジェラルドである。その配役に、かなり甘い点を付けざるを得なかったのかもしれない。
だが、製作年度をみれば、ヘンリー・トラヴァースは、本作出演の方が先である。ということは、レオ・マッケリー監督でなく、「素晴しき哉、人生!」に正反対の役で起用したフランク・キャプラを褒めるべきか。否や、ヘンリー・トラヴァース自身が名役者ということだろう。
確かに前作を上回る秀作ではないが、解り切っている大団円に向けて、スムースに見ていける作品である。