スタッフ
監督: ジョン・ヒューストン
製作: ジェリー・ウォルド
脚本: リチャード・ブルックス、J・ヒューストン
撮影: カーツ・フロウンド
音楽: マックス・スタイナー
キャスト
マクラウド / ハンフリー・ボガード
ロッコ / エドワード・G・ロビンソン
ノーラ / ローレン・バコール
テンプル / ライオネル・バリモア
ゲイ / クレア・トレヴァー
カーリー / トーマス・ゴメス
トゥーツ / ハリー・ルイス
ジギー / マーク・ローレンス
デピュティ / ジョン・ロドニー
日本公開: 1951年
製作国: アメリカ ワーナー作品
配給: ワーナー
あらすじとコメント
ハンフリー・ボガードと夫人でもあるローレン・バコールの共演作。ジョン・ヒューストン演出の冴えが光るハード・ボイルド系の逸品。
アメリカ、フロリダ半島。そこの南に、幾つもの珊瑚礁の島があり、その中で一番大きな島キー・ラーゴ。
ある真夏の日、バスでひとりの男が『ラーゴ・ホテル』にやって来た。彼はマクラウド(ハンフリー・ボガード)で、第二次大戦で戦死した部下の実家を訪ねてきたのだ。そこには、父親(ライオネル・バリモア)と未亡人になったノーラ(ローレン・バコール)がいるはずだった。
しかし、ホテルには柄の悪い一団がいて、ホテルは休業中だ、と笑った。挨拶に立寄っただけだと答えるマクラウド。だが、息子の死亡時の状況を尋きたいと願う父親と嫁の要望に頷いた。
その夕刻、季節外れのハリケーンがやってくるという情報が入ると、部屋に閉じ篭っていたロッコ(エドワード・G・ロビンソン)が、姿を現して・・・
人間たちの強さと脆さをハリケーンを背景に巧みに描く作品。
戦争で生き残ったものの、その後、虚無感に苛まれている男。何かを探して、もがいているのではなく、人生から降りてしまった感も漂う。そんな中年男がシーズン・オフのホテルにやって来る。そこに住むのは車椅子の老人と、かつての部下の美しい妻だけだと思っていた。
無職の身上で、先行きも見えない状況である。どこか、もしかしたら、ここが『逃げ場所』という感じを持っているかのようにも見える。
しかし、実際に待っていたのは極悪ギャング集団。ボスは国外追放になり、キューバに潜伏していたが、何やら大きな取引があるらしく、密入国している。
手下の他に、かつては人気歌手であったのだが、ボスの愛人になり、アル中になった美女もいる。更には、土地解放を求めて脱獄した先住民を追う保安官や、ハリケーン来襲で避難してくる先住民たちなどが、次々と登場してくる。
元は舞台劇である。なので、ホテル内で起きる緊迫の人間模様がメインとなる。
勇ましいのは老人であるが、いかんせん体が不自由である。未亡人も気が強いが、所詮女性である。そして、ボスに良いようになぶられる愛人。
嵐の来襲という情報に伴い、ボスの凶暴性が際立ってくるという展開。当然、先住民などは、同じ人間とは思っていない。
そういったボスの傍若無人な態度を目の当たりにしながら、自分に火の粉が及ばなければ良いと、知らぬ振りをする主人公。
経営者親子や愛人は、一縷の希望を主人公に投げかける。それを感じるが、所詮、多勢に無勢である。そこにハリケーンがやって来るのだ。
冒頭から、短い台詞や立ち振る舞いで登場人物の設定を次々と見事に捌いていき、伏線を張っていく脚本が良くできている。
そんな脚本を書いたのはヒューストン監督とリチャード・ブルックス。ブルックスは、以後、監督にも進出して「プロフェッショナル」(1966)、カポーティ原作の「冷血」(1867)などを輩出していく才人である。
演技陣も素晴しい。ボガードはいつも通りだし、オーバー・アクト気味ながらも、車椅子の老人役を演じた、名匠フランク・キャプラ作品常連の名優ライオネル・バリモア、ギャングといえば、これぞハマリ役のエドワード・G・ロビンソン。
そして映画史上の名作「駅馬車」(1939)などに出演してきたクレア・トレヴァーは、やっと本作のアル中の愛人役でアカデミー助演女優賞を獲得した。
そういったバラエティに富んだ俳優を使い、メリハリを効かせ、切れ味鋭く展開させていくジョン・ヒューストン演出も見事。
ストーリィ自体に深さはないものの、映画絶頂期の手馴れたアンサンブルに酔える逸品である。