地獄の饗宴(うたげ)        昭和36年(1961年)

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スタッフ

監督:岡本喜八
製作:永島一朗、椎野英之
脚本:池田一朗、小川英
撮影:黒田徳三
音楽:佐藤勝

キャスト

戸部修 / 三橋達也
日下冴子 / 団令子
加村和子 / 池内淳子
伊丹貫三郎 / 田崎潤
伊丹峯子 / 中北千枝子
チョンボ・野田 / 砂塚秀夫
宮本 / 天津敏
公爵 / 城所英夫
ポパイ / 佐藤慶
中年の男 / 若宮忠三郎

製作国: 日本 東京映画作品
配給: 東宝


あらすじとコメント

つい先立て亡くなった池内淳子。どちらかというと中年以降、TVや舞台に移ってからの印象が強い女優でもある。元々は「新東宝」出身だが、今回は大好きな岡本喜八監督の、あまりメジャーではない作品での出演作で追悼する。

東京、新橋。金髪外国女性の売春を斡旋するなど、社会の底辺で蠢く戸部(三橋達也)は、子連れの未亡人、和子(池内淳子)の営む喫茶店でコーヒーを飲むのが楽しみだった。

そんな戸部は、ある日、駅の階段で撮影済みのフィルムを拾う。ある種、「何でも屋」の戸部は、金になるものが映ってはいないかとフィルムを現像して驚く。何と第二次大戦中、転戦先の中国で、恋仲になった中国娘を特権を乱用し奪った上官、伊丹(田崎潤)の姿が写っていたのだ。

復讐心に火が着いた戸部は、写真の背景から場所を特定し、伊丹の傍らに笑顔で写っていた冴子(団令子)を見つけて・・・

和製フィルム・ノワールの隠れたる佳作。

新橋駅の雑踏の中、ハンドバッグから財布を掏られた拍子に飛びでて、転がってきたフィルムを拾い上げ、サッとポケットに隠す主人公。外ではメーデーのデモが行われている。それを避けるようにサングラスをかける。そしてサックスのモダン・ジャズのテーマ曲が流れだし、白黒が反転した映像へと変わる。

そこまで、ものの10秒と掛からない。実にスタイリシュでクールな冒頭。続いて主人公は、新宿でいかにも成金風のスケベ親父に金髪娘を斡旋する。実にリズミカルで快調な展開だ。

製作当時、携帯電話はおろか、自宅に電話もない時代である。そこで主人公が事務所代わりに使っているのが「電話喫茶」。良く電車で見受けられる二人席が向かい合わせで小さなボックスになっているタイプ。そこに電話が付いているという喫茶店だ。

そこで、店主と組んで売春斡旋をしている。これも絶滅したが「テレクラ」をイメージさせるし、店自体は今でいう「ネット・カフェ」の魁とも取れる。だが、主人公が営むのは違法ビジネスだ。それでいて、喫茶店の子持ち未亡人には純真である。

そんな主人公が今の自分にならざるを得なくなった憎き相手を発見する。病院に入院しているが、どこぞの政治家同様、「隠れ蓑」的逃避であるのは明らか。

常に一緒にいる秘書は、美人だがいかにも悪女の匂いがプンプン漂うファム・ファタールである。しかもかつての上官は、きな臭い「新興宗教」に関与しているフシがある。

「金」と「欲」の匂いを敏感に感じ取る主人公。そして密かに思いを寄せる喫茶店の未亡人は、家主から店を買取るか、それとも閉店するかと決断を迫られる展開となって行く。

『善』と『悪』がハッキリと区分けされた世界。そんな物語を紡ぐ喜八演出は見事。完全に米仏のフィルム・ノワールを意識し、日本映画に在りがちな「ウェットさ」を排除した画面構成。

ただし、監督の意に反して役者たちはどうしても湿っぽさが伴う演技しか出来ないのが難点ではある。

それでも、白黒ワイド画面で切取られる絶妙な空間や、喜八節と呼べる独特の編集のリズム感で繰広げられる虚々実々の駆け引きは見るものを画面に引き込む。特に、成瀬巳喜男作品の常連である中北千枝子の想像を絶する演技には驚いた。

完全に異様な雰囲気を放つ作品。ただ、どうしてもラストの手際の悪さは演技陣の過多な思い入れと、一瞬コメディかと思わせる展開で、鼻白むのだが。

それでも日本映画らしからぬ作風は、逆にフランス齬か英語に吹替えて、字幕を付けて見ると本領を発揮しそうな佳作である。

余談雑談 2010年10月6日
今回の都々逸。 「服のほころび縫うのもうれし 胸に埋める糸切り歯」 何とも艶っぽさを感じる。脱いだものではなく、男が着たままの状態で行う作業。『キスマーク』的色っぽさを想起させもする。 それに、これは本妻目線ではなかろう。でも、これが妾であ