スタッフ
監督: クリント・イーストウッド
製作: クリント・イーストウッド
脚本: P・ヴィアテル、バート・ケネディ、J・ブリッジス
撮影: ジャック・N・グリーン
音楽: レニー・ニーハウス
キャスト
ウィルソン / クリント・イーストウッド
ヴェリル / ジェフ・フェイ
ランダース / ジョージ・ズンザ
ロックハート / アルン・アームストロング
ケイト / マリサ・ベレンソン
ワイルディング譲 / シャーロット・コンウェル
アイリーン / キャサリン・ニールソン
ダンカン / リチャード・ヴァンストーン
キヴ / ボーイ・マサイアス・チュマ
日本公開: 1990年
製作国: アメリカ マルパソ&ラスター・プロ作品
配給: ワーナー
あらすじとコメント
前回の「アフリカの女王」の製作を背景にした作品。しかし、モデルとなる主役は、ボギーではなく、監督であるジョン・ヒューストン。DVDの特典などに付いている『メイキング』とは全く違う、骨太の力作。
イギリス、エガトン・ガーデン。ハリウッドを離れ、片田舎の屋敷に住むアメリカ人映画監督ウィルソン(クリント・イーストウッド)の元に、脚本家のヴェリル(ジェフ・フェイ)が呼ばれてきた。
彼がアフリカ・ロケで撮る新作の手伝いのためだ。だが、ヴェリルは多額の借金があるにもかかわらず、イギリスで豪勢な生活を送るウィルソンに違和感を覚える。作品の興行収入や観客のことなど無視して、自分の心意気を優先させるのは当然だと言い放つ彼の姿勢に、更に不安感を募らせる。既に、製作者のランダース(ジョージ・ズンザ)との衝突も絶えない模様だ。
そんなヴェリルにウィルソンは言い放つ。「大丈夫だ。映画はとっとと撮り上げる。後はサファリだ」・・・
象狩りに魅入られた男の生き様を描く力作。
フィクションともノンフィクションとも取れる原作は、「アフリカの女王」(1951)の脚本に参加したピーター・ヴィアテル。
モデルとなったジョン・ヒューストンは監督から演技者として活躍した人物であり、どこかヘミングウェイに似た風貌であった。事実、『ヘミングウェイよりヘミングウェイらしい』と称された男でもある。
映画とは様々な人間たちが絡んで作り上げる総合芸術であるが、そんなことよりも自分の欲望と価値観を優先させる。
静かだがハッキリとした自己主張と、鷹揚だが頑とした傲慢さを併せ持つ。相手が誰であろうと自己主張する男。特に『優越感』を持ち、平気で差別的態度を取る人間には徹底的に対峙する。それが女性であってもだ。
それでいて女性好きである。「失われた世代」の一員であり、人生の『快楽主義者』という価値観。
しかし、その自信に満ちた『欲望の趣くがまま』というライフ・スタイルが、結果、何を生みだし、何を喪失させるのか。
イーストウッドは監督として、また演技者として、映画界の大先輩である実在の人物を具象化させていく。
大袈裟な演出などない。しかし、見る者の心を鷲掴みにする力量。そして、ヒューストン自身の数々の作品に見事にダブってくる進行。特に「黄金」(1948)、「アスファルト・ジャングル」(1950)、「白鯨」(1956)といった、『何か』に魅入られた男たちを描くヒューストン作品を見てきた観客からすれば、その主人公たちが見事に監督自身に重なるのだ。
一方で、点描される静かなアフリカの大地や激流といった大自然の風景が、一層、彼の心情を浮き彫りにし、ヘミングウェイ原作の映画化「キリマンジャロの雪」(1952)を彷彿とさせるだけでなく、共通性すら浮かばせる。
また、本作で、主人公に散々、コケにされるプロデューサーのモデルは、後にデヴィッド・リーン監督と組んで数々の大作、傑作を輩出するサム・スピーゲルである。
先ず、「アフリカの女王」を見て、本作を鑑賞すると、また違う印象を受けるであろう。そして、再度「アフリカの女王」を見直したくなるはずだ。
そこに、イーストウッドが、自身と同じ匂いを共有しながら、時代性の違いはあれ、まったく違う生き様を送ったヒューストンへの憧憬と尊敬の念を感じ取れるはずである。
イーストウッドを語る上で見逃していけない一作である。