スタッフ
監督: ジュリアン・ディヴィヴィエ
脚本: アンリ・ジェンソン
台詞: イヴ・ミラン、J・サルメ、P・ウォルフ
撮影: フィリップ・アゴスティーニ、ミッシェル・ケルベ、他
音楽: モーリス・ジョベール
キャスト
クリスティーヌ / マリー・ベル
ジョルジュの母親 / フランソワーズ・ロぜー
ピエール / ルイ・ジューヴェ
アラン / アリ・ボール
エリック / ピエール・リシャール・ウィリム
フランソワ / レイミュ
ティエリー / ピエール・ブランシャール
ファビアン / フェルナンデル
セシール / ミリー・マティス
日本公開: 1938年
製作国: フランス シグマ作品
配給: 三映社
あらすじとコメント
今回もジュリアン・デヴィヴィエ監督によるオムニバス作品にしてみた。ただ、人々の間を渡り歩くのは燕尾服ではなく、古い手帖の持主。映画の古典として、記憶に残される作品の一本。
イタリア、コモ。亭主に突然死され、未亡人になったばかりのクリスティーヌ(マリー・ベル)。亭主以外に男を知らず、しかも、湖畔の邸宅でひっそりと、友もなく暮らしてきた挙句である。不意に、心に空いた穴は、埋まりそうにもなかった。
そんな時、彼女が16歳のとき、初めて出席した舞踏会の手帳がでてきた。
そこには、彼女に熱く愛を語った男たちの名前が書いてあった・・・
センチメンタルで抒情性に満ちた人生模様を描く作品。
ヨーロッパでは、16歳で社交界デヴューするという。一応の大人社会への登竜門である。
その初めての舞踏会で踊る相手たちには、自分が、少女から少しだけ大人になる瞬間のときめきと不安があることだろう。しかも、相手は、当然年上の男性たちである。
それから20年が過ぎ、少女に愛を語った男たちが、どのような人生を歩んでいるのか。未亡人になったばかりだが、36歳の『女ざかり』でもある。
単なる思い出探しなのか。それとも、別な新たなる人生に淡い期待を寄せているのか。
そして、主人公は、次々と手帖に書いてある男たちを訪れる旅にでる。
最初に会うのは相手のひとりである男の母親。しかし、その母親というのが、少し妙な態度で接して来て、という、どこかサスペンス・タッチで進行する。続いて、キャバレーのオーナー、修道士、山岳ガイド、田舎町の町長、医者、そして美容室経営者と登場してくる。
相手の男たちが、何故、現在の立場になったのかは、すべて主人公が関与しているという設定。ただし、そこには主人公自身の思い入れもある。
しかも、16歳の時の初舞踏会で、それだけの男たちと知り合い、以後、全員と個別にデートをしているという設定なのだが、その中の誰とも結婚はせず、結局は、映画には一切、登場しない別な金持ちと結婚したということである。
見ていて疑問に感じたのは、死んだ亭主の影がまったく見えず、しかも、どんな職業であったのか。もしかして、爵位を持つような相手だったのか。兎に角、高級住宅地であるコモ湖畔の大邸宅に住んでいる女性である。
見ていくに連れ、彼女が、かなり自意識過剰で、且つ、自分が一番でないと気に入らないような
性格ゆえ、個人的には感情移入しづらいと感じた。
各エピソードはフィルム・ノワール風、コメディ風、サスペンス風と作劇を変えている。ただ、主人公と再会したことによって、幸せが訪れる人間は、どの程度いるのか。もしくは、彼女と再会したことによって、更に流転の人生が待ち構えているのだろうか。もしくは、何ら変化が起きないのだろうか。
斜めに切られた画面や幻想的な影を強調したシーン。当時の撮影技法として、エピソード毎にニュアンスを変え、その都度、主人公の衣装も変わり、眼を楽しませてくれる。
製作されたのが、第二次大戦の前という時代。当時の日本では、ある種、大人のお伽噺のような話で、流石のフランス映画と絶賛された古典的作品。