スタッフ
監督: エレム・クリモフ
脚本: アレシ・アダモーヴィチ
エレム・クリモフ
撮影: アレクセイ・ロジオーノフ
音楽: オレーグ・ヤンチェンコ
キャスト
フリョーラ / アリョーシャ・クラフチェンコ
グラーシャ / オリガ・ミローノワ
コサーチ / リュボミラス・ラウツァヴィチェス
ルベージ / ウラダス・バグドナス
ユスチン村長 / カジミール・ラベツキー
ワルターシュタイン / ヴィクトル・ロレンツ
通訳 / エヴゲニー・チリチェーエフ
ワシーリェヴィチ / ピヨートル・メルクールエフ
日本公開: 1987年
製作国: ソ連 モスフィルム、ベラルシフィルム作品
配給: 松竹富士
あらすじとコメント
前回の「まぼろしの市街戦」は、ファンタジー色いっぱいの反戦映画だった。今回もどこかファンタジーを感じさせる、「戦争」を材に取った作品。しかし、身の毛もよだつ映画でもある。
1943年、ドイツ占領下の白ロシア。フリョーラ少年(アリョーシャ・クラフチェンコ)は、反撃に転じたソ連軍に影響を受け、何とかパルチザンに参加し、自分も戦闘に加わりたいと願っていた。
そんな彼は、ドイツ軍が撤退した砂浜から銃や双眼鏡を掘り起こした。これで自分も参加できると。しかし、彼の他に小さな双子の娘を持つ母親は、大反対した。家族にパルチザンがいることがドイツ軍に知られれば家族全員が虐殺されるからだ。それでも、結局、参加を決めるフィリョーラ。
パルチザン部隊に合流するが、隊長は彼がまだ少年だからと、戦闘へは加えず、女性たちとテント村の手伝いを命じた。ふてくされる彼の前に金髪の少女グラーシャ(オリガ・ミローノワ)が現れて・・・
どこかいびつなファンタジー性を持った反戦映画の秀作。
小さな田舎町。戦争は既に、あちらこちらで大きな爪あとを残していた。思春期の少年が、戦いたいと思うのは当然の成り行きだろう。
しかし、まだ子供である。しかも、恋さえ知らない。そこへ金髪の少女が現れる、だが、彼女は隊長への思慕の情を隠さない。
大人びたい少年と少女。森の中のキャンプ村近くで交わされる二人の会話は、どこか背伸びをして、ぎこちない。ユーモラスであり、ファンタジーに満ちた躍動感がある。その上空を飛ぶドイツの爆撃機。突然、現実へ引き戻される瞬間がやってくる。
解りきっているとはいえ、突然の変調である。本作は、そういった何度かの変調と共に、底冷えのする恐怖感が増幅されていく。
タイトルの「炎」と「623」が意味するもの。当然、『炎』は楽しいキャンプ・ファイアーではないし、『628』はパルチザン部隊の呼称でもない。
しかし、それらには、強烈なる意味が込められている。「炎」とは、爆撃や戦闘で目の当たりにする恐怖であることは容易に想像が付こうが、逆に、その「恐怖」に匹敵する美しさが混在するし、どこかユーモラスさまでが漂う。
それは、ファンタジーがかった前半部の刷り込みゆえである。
しかし、炎はすべてを焼き尽くす。燃え尽きたものから、また新たなるものが生まれてくるのか。
確かに『無に返る』のであれば、『希望』ヘと続く。しかし、本作で描かれるのは、その可能性すら、おぞましいという事実。
あくまでも、ファンタジーとして描かれているにも関わらずである。
その「暗喩性」を想起させる象徴として、映しだされるのはドキュメンタリー・フィルム。しかも、サイレント期に、スラプスティック・コメディなどで使用された手法によって描写される、特段、目新しい手法ではないが、そこに漂う底冷えのする恐怖感が、やはりファンタジー性を伴って綴られていくという、その嫌悪感。
中には、その「逆説性」に「愉悦」を覚える人間もいるかもしれない。しかし、ラストに「628」という数字の意味することが理解できたとき、人間は想像以上に残酷であり、「負の連鎖」が延々と続きざるを得ないと感じるだろう。
材を取った第二次大戦には勝利したソ連だが、本作製作当時、アフガニスタンで戦争をしていた。
そのことへの絶望と贖罪と取れなくもない、力強い秀作である。