余談雑談 2011年3月19日

大地震から一週間が経った。

先ず、多くの犠牲者の皆様、過酷な状況で避難生活を強いられている被災者の方々に、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。また、寝食を犠牲にし救援に当たられている方々にも心底感謝を申し上げます。

未だに被害の全体像が掴めないし、原発の問題もあり、予断を許さぬ状況だが、怖いのは、自然よりも人間の恐怖心なり、不安感から起きる風評被害であるとも感じる。

これは致し方ないとも思う。実際、同じ場所にいても、地震そのものの感じ方も、その人によって違ったのだから。

発生当時、自分は東京下町のマンション9階の自室にいた。長い横揺れの微震から、一挙に来た。46年住み続けた部屋で、趣味で収集し、所狭しと積み上げた品々が飛び散り出し、倒れて一番危険と思われるオーディオ機器群のところに移動し、体で押さえた。そんな自分の真横にあった30キロ近いテレビまでもが飛び出した。

何ら防護策を講じてなかった自身の愚かさを呪いながら、思い入れの品々が、無残に飛び散っていくのを、呆然と見つめるしかなかった。しかし幸いにも怪我はなかった。ところが、低層階では、激しく揺れたが、物が落下したり、飛散等はなかったらしい。

以後、民放テレビ局によるトラウマを喚起させる悲惨な映像の過剰放映には、自身の体験が蘇るし、どこか冷静だが扇情的な作為的内容の羅列に気分が悪くなるので、スイッチを切ってしまう。

しかし、一方で、自分が嫌いであるはずのツイッターが、活躍したのは周知の事実。人に教えられ「心に残るつぶやき」というサイトを見て涙した。

こちらが「善」で、そなたが「悪」とは言うまい。美談だけではなく、この震災を他人事と捕え、暴挙に及ぶ人間もいるのも事実。

だが、そのつぶやきを見ながら、自分が日本人であることに誇りを持った。また、自分がリアルタイムで聞き、刷り込まれているからかもしれないが、坂本九の歌が、頭の中で蘇り、何度もリフレインしている。「上を向いて歩こう」。そして「明日があるさ」。

個人としては、役立つことなど何も出来ぬだろうが、それでも、この未曾有の大震災で、命を落とされた方々に誓う。

あなた方の無念さは、近い将来、必ず報われる国になります。

それは、政府や行政、報道といった権力と影響力を持ったレベルではなく、お亡くなりになられた皆様と同じく、名もない市井の人間たちの力によって。

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