スタッフ
監督: スチュアート・ローゼンバーグ
製作: ゴードン・キャロル
脚本: ドン・ピアース、フランク・R・ピアソン
撮影: コンラッド・ホール
音楽: ラロ・シフリン
キャスト
ジャクソン / ポール・ニューマン
ドラッグライン / ジョージ・ケネディ
ソサエティ・レッド / J・D・キャノン
所長 / ストローサー・マーティン
カー / クリフトン・ウエッブ
ポール / ルーク・アスキュー
ババルガッツ / デニス・ホッパー
トランプ / ハリー・ディーン・スタントン
ドッグ・ボーイ / アンソニー・ザーブ
日本公開: 1968年
製作国: アメリカ シャレム・プロ作品
配給: ワーナー
あらすじとコメント
「脱獄モノ」で繋げてみた。いがみ合う人種という構図ではなく、たったひとり、孤高で反骨精神に満ちた若者にスポット当てた秀作。
アメリカ、フロリダ。小さな田舎町で、深夜、酔った挙句に路上パーキング・メーターを次々と破壊して懲役二年を言い渡されたジャクソン(ポール・ニューマン)は、他の新入たちと、とある刑務所に送られてきた。
看守たちは居丈高で、ここでは規律が重んじられると説いた。薄ら笑いを浮かべるジャクソンだが、自らは目立つ言動をしない若者でもあった。早速、先輩囚人たちからの洗礼が開始されるが、さらりとかわすジャクソン。どうやら頭も切れるようだ。
翌日から労役が始まり、炎天下で砂利道の整備をさせられる。そこでは、先輩たちが忠実に規則を守り、看守たちの言いなりになっている光景を目の当たりにする。だが、施設内に戻ると一転、仲間内では態度が横柄になる。
そんな中で、ボスはドラッグライン(ジョージ・ケネディ)という大男。直情型で単細胞な男だ。自分の力を誇示しようといた彼に対し、ジャクソンがニヒルに笑い返したことから・・・
反骨精神の塊の若者を鋭く描くアメリカン・ニュー・シネマの秀作。
ストレスからか、単に無節操からか、酔っ払って公共物破損の罪で懲役刑を受けた主人公。
最初はクールに、というか、他人や社会を小バカにした態度だ。怠惰でやる気なさげで厭世観に満ちているとも思わせる。
物語は、そんな彼が2年間過す刑務所内での人間関係や実情が淡々と描かれていく。炎天下での労役、閉塞感溢れる施設。更に、何かにつけ囚人たちが放り込まれる独房。ただし、単純犯が多いのか、陰湿なイジメや集団リンチなどはない。
主人公は静かに状況を分析しているようだ。一見、何も考えてないようだが、実は深謀遠慮タイプだと感じさせる進行。
そんな彼が、やがて本性を現していく。それは徹底した『反骨精神』。命を賭しての権力への反抗である。
そのために 最初に味方につけるのが囚人たちのボス。そして、主人公の背景を浮かび上がらせながら、「アメリカ社会」への挑戦という大いなるテーマが浮かび上がってくる。
まさにニュー・シネマ作品で偏重される題材である。
若くて、一匹狼のような存在として登場させながら、クールに周囲を分析し行動していく。ところが、あくまで単純で何も考えていないと思わせる言動で押し通す。
何故なら相手は知的レベルの高くない囚人や看守たちだからである。
実に深謀遠慮なタイプ。うがった見方をすれば、相手とは同じ土俵で勝負はしないが、自分の意思を通し、伸し上がろうとする姿は、逆説的にアメリカン・ドリームの体現者とも感じられる。
そんな主人公に対して、権力者たちは、どんな行動を取っていくのか。容易に想像が付く。しかし、それらの度重なり、エスカレートしていく態度にも決してくじけない主人公の姿。
製作当時、ヴェトナム戦争は泥沼化していた。単純に、見方を変えると、汗臭く絶望的閉塞感を伴う刑務所は「密林の戦場」であり、高圧的でありながら、のんびりとした鷹揚さを伴う体制側は「アメリカ政府」という、はっきりとした図式が浮かび上がる。
同じく脱獄モノとして評価の高い「ショーシャンクの空に」(1994)と見比べてみると良いだろう。
主人公自体のバックヤードはまったく異なるが、ひとり、どこか孤高に反抗していく主人公のひたむきな姿や、心許せるヴェテラン囚人を仲間に引き入れる姿、どこか淡々と進行するスタイルなど重なる部分も多い。
だが、逆に、製作時に世界が置かれていた状況の違いを感じ取れるであろう。
個人的嗜好は様々である。それでも、本作は見えざる権力への徹底抗戦を描き切った傑作だと位置付ける。それは、本作の主人公が被害者でもあるが加害者でもあるという図式が描かれているから。
それらを体現し、演じきったポール・ニューマンの圧倒的な演技と、単細胞でありながら、これこそアメリカの市井の人間という役柄を見事に、画面に叩き付けるジョージ・ケネディの名演技あってこそだ。