スタッフ
監督: ジョン・ヒューストン
製作: レイ・スターク
脚本: アンソニー・ヘイラー、J・ヒューストン
撮影: ガブリエル・フィゲロア
音楽: ベンジャミン・フランケル
キャスト
シャノン / リチャード・バートン
マキシン / エヴァ・ガードナー
ハンナ / デボラ・カー
シャーロット / スー・リオン
フェロウズ女史 / グレイスン・ホール
祖父 / シリル・デレヴァンティ
ミス・ピープルス / メアリー・ボイラン
ミス・デクスター / グラディス・ヒル
ハンク / ジェームス・ウォード
日本公開: 1964年
製作国: アメリカ セヴン・アーツ作品
配給: MGM
あらすじとコメント
前回の「メドゥーサ・タッチ 恐怖の魔力」で、主演したリチャード・バートン。イギリス出身の性格俳優で、様々な役を演じて来たが、出演作品は、かなり玉石混合。そんな彼の作品群の中で、本作の監督はジョン・ヒューストン。お互いの個性が上手く絡み合った人間ドラマ。
メキシコ。テキサスから小さなバスでメキシコ周遊旅行を楽しむミッション・カレッジの女性教師集団がいた。皆、お堅いオールド・ミスばかりである。
そんな中に、ひとりだけ18歳の色気ムンムンのシャーロット(スー・リオン)がいた。彼女はあまりにも奔放すぎる成長振りに業を煮やした両親から、叔母であり一団のリーダーでもある謹厳実直が過ぎるきらいもあるファロウズ女史(グレイスン・ホール)に預けられていたのだ。
そんな一行にガイドとして同行するのはシャノン(リチャード・バートン)である。しかし、彼は以前、聖職者だったが、女性とのスキャンダルで教区を追いだされた過去を持つ男。
そんな彼に、シャーロットは、色仕掛けで迫りだしたことから・・・
心に傷を持つ人間たちを描く重厚なる人間ドラマ。
原作は「欲望という名の電車」「熱いトタン屋根の猫」といった人間の弱さと心理的狂気を描く第一人者であるテネシー・ウィリアムスによるもの。本作でもその独特でむせ返るような人間ドラマが炸裂している。
かつては聖職者でありながら、人間の本質である性的欲望に負け、職を追われて精神病院にまで入った男が主人公である。
そこからして、いびつである。彼は未だに現実世界と、聖職者として残っている、俗界から乖離した『ファンタスティック』な世界に住むという男でもある。
そんな彼に、セックスに興味津々で俗っぽいヴァージン娘が色仕掛けで迫ってくる。そんな姪を預けられた社会正義感の塊であり、相手を自分の正しいと信じきる価値観で威圧的に接してくる中年の女教師。
実に重苦しい展開で進行し始まる。主人公は、少女に籠絡されそうになったところを見つかり、激怒した女教師が兄である判事に掛け合って、彼を断罪しようとしたことから、物語は急激に変調する。
追い込まれた主人公は、予定先のホテルに行けば、自分の身に災難が振りかかるからと、バスごと自分の知り合いのエヴァ・ガードナー扮する女主人が経営する旅籠へ逃げ込むのだ。
そこは太平洋に面した小高い丘にある一軒宿。しかも彼女は主人公に好意を抱いているが、相手にされずビーチボーイと奔放に遊ぶような女。
そこへ更に96歳の老詩人の祖父と旅を続ける美しい画家のデボラ・カーがやってくる。しかし、そのカップルは無一文であり、祖父は昔書いた詩を暗誦し、孫娘は似顔絵を書いて稼ぎながら、後は旅館の善意にすがる旅を続けている。
ここでやっと役者が出揃い、風光明媚な場所でありながら、人間はいびつという不安定な展開になる。
いかにも舞台の台詞劇という展開である。そこに、どうしても、映画化した場合の演出の限界が感じられるが、それでも、それぞれの役を見事に咀嚼し演じるキャストが素晴しい。
主人公バートンとデボラ・カーはイギリス人である。イギリスの寒村が舞台だが、小さなシーズン・オフのホテルで繰広げられる少女とのスキャンダルが下敷きになる、いびつな人間模様といえば、同じくデボラ・カーが出演した「旅路」(1958)を連想させるが、こちらは開放感のあるメキシコである。
それをメキシコは自分の故郷同然と言うジョン・ヒューストンが監督した。その違いは興味深いものがあった。しかも演技派揃いである。
タイトルにある「イグアナ」は大トカゲのそれである。そのイグアナに例えられる、それぞれの価値観と人間像。
秀作とは呼び難いが、重厚なる人間ドラマとして、ちゃんと成立している作品。