天気予報の一部が「花粉症」から「紫外線」情報に変わった。東京も、春から夏への変動期からか、天気や気温が落ち着かない。
それでも、酒は欠かさぬ自分。で、いつもは散歩がてら徒歩で向かう店。震災後もポツリポツリと顔は出していた。
その日は強雨だったので、徒歩をあきらめ、久々にバスで向かった。その酒場の常連である、とある旦那。
大の釣好きで、釣果が良いときは食べ切れぬからと、咥え煙草で、店に大量の魚を持ちこんでいた。自分も、何度もご相伴に与った。
震災後、顔を見ないと思っていた。他に客も居なかったので、口数の少ない親父さんに尋いてみた。
福島に行ってます、と静かに答えた。確か、建築関連の仕事をしていたと記憶している。間違いなく、赤いチャンチャンコは既に着た年代の御仁だ。
その日は雨でもあり、気温差を感じどこか肌寒い夕刻。店を辞しても雨だった。本来なら歩いて帰るべきだったかもしれない。でも、雨に甘え、それ以上に、己に甘え、バスで帰宅した。
その翌日は真夏を思わせる暑さの東京。中には、激しい雨の後は、また関東の浄水場から、あの意味の汚染水が検出されやしないかと心配する人もいるだろう。でも、自分など水道水で充分だ。
人間の存在価値について考えた。自分など、考えれば恵まれた人生である。
ふと、福島の方角を見てしまった。戦争は、直接は知らず、かといって、高度経済成長を支えた御仁。いつか、また、目じりを下げながら、「親父ギャグ」を言う、旦那の少し下品な笑顔をつまみに酒が飲みたい、と。