実家の煙草屋。
「日本たばこ」は、震災以降、未だに品薄状態が続いている。なので、数少ない商品をどのように販売しようかと、老いた母と相談しつつ、商いをする日々である。
品薄も長期化し、知り合いの飲み屋から、何個でも良いから、と出前配達を依頼されることも多くなった。売れるのだから嬉しいことだし、呑みに出向くための都合良い言い訳もできる。
なので、喜んで飲みに行くのであるが、考えたら、儲け以上に飲み代がかかる。「損して徳とれ」とも思うのだが、そんな悠長なことを言えるほど財布の中身はないと後悔しつつ、帰宅した夜。
北風が吹き、スーパー・クール・ビズなど、どこの話かと思うような寒い晩であった。すると、ビルのエレベーター・ホールに別の階に住む老婦人が、首から診察券をぶら下げ、坐り込んでいた。
時間は23時を回っていた。その御婦人は、自分と同じく、46年前にビルが出来たときから住む顔見知りだ。
話しかけると、どうやら、デイサービスの曜日を間違え、来るはずもない出迎えを数時間も、その場所で待っていたようである。曜日が違うことを教え、部屋までお送りした。
都下に住む息子さんは、自分より年上でたまにお会いすると、溜め息交じりで「君の親は大丈夫か」と、度々、尋かれたことを思い出した。
ふと、「煙草は誰に売っても同じだから、折角だし、お前の知り合いに融通してあげな」と言った母の言葉を思い出した。
「損して徳とれ」は、確か『得』でなく『徳』だったよな、と自分の階に向かうエレベーターの中で思い返した。
それとも、「情けは人の為ならず」か。幸か不幸か、酔いが醒めた夜であった。