スタッフ
監督: エドワード・ドミトリク
製作: ソル・C・シーゲル
脚本: リチャード・マーフィー、フィリップ・ヨルダン
撮影: ジョー・マクドナルド
音楽: ライオネル・ニューマン
キャスト
デヴロー / スペンサー・トレーシー
ジョー / ロバート・ワグナー
バーバラ / ジーン・ピータース
ベン / リチャード・ウィドマーク
デヴロー夫人 / ケイティ・フラド
マイク / ヒュー・オブライエン
トゥー・ムーンズ / エドワード・フランツ
デ二ー / アール・ホリマン
知事 / E・G・マーシャル
日本公開: 1954年
製作国: 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
先住民と白人の間に生まれた青年。そんなキャラクターが重要な鍵を握る大河ドラマ的ウェスタン。
アメリカ、テキサス。南北戦争から20年後、自らの力で『王国』とまで呼ばれる一大牧場を作り上げたデヴロー(スペンサー・トレーシー)。
長男のベン(リチャード・ウィドマーク)ら、四人の息子がいたが、四男のジョー(ロバート・ワグナー)だけは、後妻の先住民との間に生まれたハーフだった。そんな四男だけを溺愛するデヴロー。
ある時、近くの銅精錬所の汚染排水が彼の敷地へ流れ込み、所有する牛が多数死んでしまう。怒り心頭のデヴローらは相手側に乗り込み、有無を言わせず精錬所を焼き払ってしまい・・・
「新興勢力」が、更なる時代の流れにどうなって行くかを描く大河ドラマ。
本作は1949年に製作された「他人の家」のリメイク。しかし、銀行家一家の家庭崩壊を描くオリジナルとは違い、「西部劇」として置換してある。
共通して描かれるのは、一代で財を成した人物と息子たちの確執。そして、時代の流れ。
本作では、「アメリカン・ドリーム」初期体現者の筆頭格である『牧場主』が主役だ。当然、自らの信念のためには実力行使が基本理念であり、力で相手を黙らせるか、ねじ伏せる。しかし、時代は流れ、その上、自分らが実行支配してきた場所は南北戦争に敗れ、北部、東部からの革新的、且つ、合理的信念を伴う強大な近代化の波が押し寄せて来ている状況。
古臭くなった頑固者。だが、強大な力を持つ父親に、存分に反抗できない息子たち。その関係は「いびつ」である。『力による正義』が法律に対峙できなくなって来たときに、何が起きるのか。
そんな牧場主を演じる名優中の名優スペンサー・トレーシーの圧倒的な存在感。しかし、本作では基本的には悪役として描かれる。ゆえに単純に感情移入できないのだ。
先住民とのハーフで、一番肩入れが出来そうな四男役のロバート・ワグナーも、懸命に力んだ演技だが、所詮、力不足。そんな中で、複雑な立場で、結果的に悪役になりざるをえない長男役のリチャード・ウィドマークが緩衝剤的な咀嚼力のある演技で、一番印象に残る。
しかし、演出はどうにも凡庸だと感じた。監督はエドワード・ドミトリク。ストーリィの仕立て方自体、四男が刑務所から3年の刑期を務め出所してくるところから始まる回想形式なのだが、どのパートも些か説明くささと、逆に端折り過ぎの感がある。
だが、「西部劇」で、『総天然色』『ワイド・スクリーン』というと、派手なスペクタクルがお決まりだった時代に、敢えて、まったく違う家族のドラマを描く手法には感じ入った。
様々な場面で、樹木、岩などの背景の残し方など、奥行感や、絵画的印象を与える画面構成に砕身しているという印象が強い。そうはいっても、そればかりに眼が行き、全体のバランスが間延びしている感は否めないのも事実。そこにドミトリク監督の持つ、どこか奇妙な作家性をも嗅ぎ取った。
ただし、感じ方は人それぞれである。何も考えずに見れば、面白いのかも知れぬ。だが、それほど単純な内容でもない。
そこに『時代性』というジレンマを感じ、「アメリカン・ドリーム」への傾倒と批判双方を両立させようとした奮迅振りばかりが印象に残る結果となった。
人間の尊厳と脆弱さを描くドラマとして脚本は、そこそこに仕上がってはいるが、演出力、俳優の力量等、映画はあくまでアンサンブルだと感じさせる作品。