スタッフ
監督: フィル・カールソン
製作: リチャード・ウィドマーク
脚本: ジーン・ヘイズルウッド
撮影: マックス・グリーン
音楽: ジョン・ウィリアムス
キャスト
レイノルズ / リチャード・ウィドマーク
ジュリア / ソニヤ・ツィーマン
伯爵 / シャルル・レニエ
ヤンシー / ウォルター・リラ
ヒダス / ハワード・ヴァーノン
エルザ / センタ・バーガー
サケノフ / ハインツ・モーグ
司令官 / ヨーヘン・ブロックマン
オルガ / エリザベット・N・ウィーテル
日本公開: 1961年
製作国: アメリカ ヒース・プロ作品
配給: ユニバーサル
あらすじとコメント
今回もリチャード・ウィドマーク主演作。しかも、当時流行りだった、大スターが自身の独立プロを立ち上げての製作で、本作もウィドマークが主宰したプロの第一回作品。
オーストリア、ウィーン。米ソ冷戦下の1960年のこと。アメリカ人の職業スパイであるレイノルズ(リチャード・ウィドマーク)が、西側陣営の大物に呼ばれてやって来た。
ミッションは共産国ハンガリーで、反共活動をして政府に追われているヤンシー教授(ウォルター・リラ)の発見及び、西側への亡命補助であった。危険すぎると断るレイノルズだが、博打と女での借金で首が回らないことを盾に取られ、渋々、合意させられる。
期限はハンガリー潜入後、たったの二日間。博士を探す糸口は、つい先立て、こちらに亡命した博士の娘のジュリア(ソニヤ・ツィーマン)だけだった・・・
米ソ冷戦下での諜報員の活躍を描くスパイ・アクション作品。
原作は、「ナバロンの要塞」などで有名なアリステア・マクリーンのスパイもの。
主人公は「職業スパイ」ではあるのだが、スマートで超人的なジェームス・ボンドとはまったく毛色が違うタイプとして描かれる。というよりも、どこか『マヌケ』という印象。
なので、コメディ・アクションとして進行するのかと推察した。しかし、始まってみると、さにあらず。真面目に進行していくのだが、それが、ほぼ全部、裏目にでたという印象。
確かにコメディ的要素もあるが、あくまで普通に進行するし、いくらでも面白く撮れるシークエンスをわざとか、平板に描いていく。
そもそも、主人公が、頭脳明晰でもなく、行き当たり場当り的な行動をし、しかも格闘技にも弱いという設定が、コメディ的だと思うのだ。そこに、彼より腹芸に長けたサイド・キャラが続々登場してくる。
ストーリィは、博士の娘を探しだすまでのサスペンスと、彼女と一緒に国境を越え、ハンガリーに潜入し、博士を探そうとする進行を見せる。
だが、編集のリズムが一定していないし、立ち位置や腕の位置など、画面が切り変わるたびに違うので、微妙な違和感が継続するし、つなぎ目もかなり不自然でどうにも安心して見ていけない。
だが、やっとラスト20分ぐらいで盛り上がってはくる。そこいらの盛上げ方は往年のイギリス映画を踏襲しようと頑張るが、いかんせん、カッティングや画面構成が下手過ぎで鼻白む。
まったくもってフィル・カールソン演出が凡庸すぎるのだ。白黒画面で陰影を付け、画面を斜めに映しだしたりして不安定感を喚起させる「第三の男」(1949)でのキャロル・リードへのオマージュも登場するが、それ以上に、それまでが不安定極まる画面構成なので、効果半減である。
更には、あくまでも個人的な印象であるが、救出される博士役を演じるのは、映画史上に燦然と輝く、イギリス映画の至宝「絶壁の彼方に」(1950)で、独裁者の将軍を演じたウォルター・リラであることも、いけないと思いつつも同作と見比べてしまった。
クールでニヒルな感じで通したウィドマークは上手いが、他の俳優たちに華がなく、どうしてもウィドマークひとりにすべてを託するのは無理があリ、結果、失敗に繋がったのであろう。ただし、製作を兼ねてもいる責任はある。
まァ、往年のイギリス映画を見てない観客からすれば、後半はそれなりにサスペンスフルな展開だと受け入れられるかもしれない。